人格の話
人格とは多面体のようなものだと言っている人がいるらしい、ということを友達から聞いたことがあった。今日twitterでそんな感じのことを言ってる人が居たから思い出した。
最初に聞いたとき面白いなあと思った。自分の人格の形状が人間のかたちをしていないと思ってるってすげえ、と。
人型をしていない多面体。まず裏表だけでは立体になれないから却下だ。Wikipediaによると4つ以上の平面からできている立体を多面体と呼ぶらしい。
多面体という言葉を聞いて正十二面体とかそういう正○○面体を想像したけど人が常に整っているあるわけはない。もっといびつなものだって多面体と呼べるだろう。例えば、優等生である自分の面を増長させればその面は広がる。見せたくない自堕落は裏側で虐げられてる。
一番ニュートラルな形でいることが人格を安定させる秘訣だろうか。拡がった面の角を落とす。落とす。落とす。学校でのキャラクターもアルバイト先でのキャラクターも家族と会うときのキャラクターも親戚と会うときのキャラクターも全部、削って細分化する。肥大化した面は要らない。バランスの取れていない面はいらない。より核心に近付けて削っていく。そうすると、そのうち球体ができる。
無数の面(点?)が繋がったものが球体だ。多面体からは脱してしまった。多面体だった人格が球体にまで落とし込まれて、球体の意味と言えば「完全体」だ。
すごい、最初に多面体のようなものだって言い出した人すごい。いびつな形であればあるほど削る余分は大きくて、小さく不安げな核心しか残らなくなるだろう。
元の核心の大きさはいつ決まるんだ。ってかそもそも心とか人格とか分からないものを話題にすると着地点がないな。
人格をいずれ球体にできるかもしれないと考え出したら楽しくなっただけだ。
おれ自身は人に自己の面を提示してるつもりはなくて、人格は人の形をしている気がしている。身体のスライスが人の中のビン保存庫でビン詰めされているんだ。おれのことを知っている人たち全部を集めてくっつけるとおれが出来る。
多面体の話よりも断然他力本願で、かつ伝わりにくい気はしてる。スライスだと分かりにくかったら五体だと思ってくれ。僕の意識は胸から頭にかけてあるからこれは俺のだ。そんで、知り合いのAさんBさんCさんDさんEさんがいて、Aさんがおれの右腕、Bさんが左腕、Cさんが右足、Dさんが左足、Eさんが胸から下の胴体をそれぞれ保存してる。ばらばらなそれを僕の意識にくっつけたら僕が出来る、という。伝わるかこれ?
とにかく、人格って血なまぐさい感触をしてると思ってたんだ。赤くて怖いものだった。それが人型から脱して多面体になって球体になれるって、すごく洗練されてて、身体の制約から放たれてるようで、いや、もうすげえなと思ったんだ。
立方体から球体を作るためには結構思い切って削っていかなきゃなかなかうまくいかない。
もとの形も考慮しなければいけないが、球体を作るなら一面に囚われず俯瞰することが必要だ。まだおれは人間の形から抜け出せてないけれど、いずれ抜け出したい。将来の夢は球体にしよう。
おやすみなさい。
暴言吐きたいって話
おれが吐ける暴言は「ぶん殴るぞてめえ」「ぶっ殺すぞてめえ」という非常にIQの低い程度のものだけだ。
なんか無差別に、暴言を吐いてみたい。
傷ついてしまいたすぎて傷つけたいというループに陥った。この腕に(中略)ってしてしまいたいけど治るまでめんどいなという至極真っ当な想像もつくぐらいだったらやめておきたい。めんどいなと後で思えるのにやってしまうのが衝動だ。今はそのときでない。これから先もあまりそのときに出会いたくはない。
信条とかけ離れた浮ついた意思が、傷を負えないのならば誰かを傷つければいいのかという風に変わってしまっている感じがする。
いいのか悪いのかと言えば、悪い。内向きだった攻撃性が外向きに変わっただけである。んでもって外に向いた攻撃性の成れの果ては無期懲役か死刑だ。ってことは誰かかなり多くの人を途方もなく傷つけてる。手の届かない場所まで傷つけてる。最悪だ。一番望まない経路だ。そんなことをするぐらいだったら俺は全身全霊を以って攻撃性を己に向けたい。
どうだっていい。誰も俺もどうだっていい。ずっと思ってたことだろう。
まあいいよ。まあ大丈夫。これが一番誰も傷つかないなら最高だろ?
自己完結できる傷つきたい欲求と傷つけたい欲求が渦巻いてなんだかとっても自己中な世界だ。
これで楽しいならばよりいい。全然楽しくはないけど。
ずっと真面目で従順なやつでいた。もうこれは性根に染み込んでしまっていると思うから仕方がない。凶悪事件を起こせる特性である気がしますね。丁度いい割り振り方を知らないんだ。
トライアンドエラーをしないでいた。安全な道ばかりを選んでたから。
ひたすらにこにこして居てれば自分の思想と違う意見もそんなに聞かないで済む。幸いおれは自分の正義に則ることを美徳ともしていない。
今日かっと上がった正義感(仮)で親の見解と違う自分の意見を言ってみたら親の見解の骨組みを強化されただけで面倒でやめた。自分が劣った意見を発していると気付いたとかではなく、あの人の見解はそれはそれで強固な一個体なんだ。反論は必要としてないし無意味なんだ。ただ共有したかっただけ。返事の代わりににこにこしてれば満足すんじゃない?
いいんだ、まあ、このままで。とにかく誰かを傷つけることはしないように。
こっそり攻撃性を解消させたいから聞き取れないような早口言葉の合間に最悪な暴言を混ぜてみたいんだ。中指立てるみたいなほんっとーに最悪なレベルの。
そんなの知らないから困る。言えるほど滑舌よくないのも困る。
亜人のIBM粒子みたいなものを身体から放つことができたらそれで延々遊んでいたい。コミュニケーションを考えるのは面倒くさい。人間死んじゃえば生き返ることもできないならなんでこうもぐだぐだ言うのか。法律の効果か。すげえな社会。
ぐだってたら眠剤が効いてきた気がします。寝ます。おやすみなさい。
20170330
なんで人は万人と分かり合えないか不思議だ。
そんなことを思う自分すら、あまり意識せずとも、話してて楽な人とそうでない人は存在する。怒りの閾値が低い自分だ。コミュニケーションが苦手な自分だ。分かり合うとかなくて実は単に誰だってどうでもいいのだとも思う。
なぜなら、分かり合う以前に自分の正義や常識の中に他者を組み込む必要性を感じてないから。
他人にとっての価値感を想像するのは昨日も書いたが四次元的であると思う。圧倒的すぎる知らない時間があるから。知らない生き物を捕獲するのは難しい。飼育するのも難しい。なんで手を離さないんだろう。そういう不思議さがある。ただそれだけ。
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ここまで書いて別に続きが思いつかなくて下書き保存したら母に大声で呼ばれた。早く来てとすごい音量で言うから、まさかさっきまで元気だった犬に何かあったのかと誰の訃報なのかと大変な不安を感じて一段飛ばしで駆け下りたらただ面白いテレビ番組だったから一刻も早く共有したかっただけだったそうな。よかった。
ノミの心臓というのはおれのためにできた語なんじゃないかというぐらいよくびびる。ちなみに現在手を止めると震えだすし涙が出そうだから出来る限り頭を回して手も動かそうと思ってこれを打ってる。すぐに強制シャットダウンすると今度は怒られるから。まだまわしていないといけない。
前回びっくりしたのはある人と会うときにすぐ見つけられたこと。その前は親を待って車で寝ようとしてたら運転席側の窓をノックされたことだった。びびりすぎ。
テレビは平生の状態なら面白かったと思うけどこんな動悸の状態で笑うもクソもない。残念だけど全然共有できてないぞ。そう伝えたら早く共有したかったのと開き直られた。本当割と是非ともやめてほしい。あなたの大声と叫び声は区別がつかない。
というかおれ笑い声と泣き声の判別も出来ないときあったわ。おれが駄目なのか。おれがだめなんだな。
あ、ちょっと無理だった。まだ全然死亡当日を振り切れてない。ちょっと8月に行ってくる。
今日はもうおしまい。
拠点の話
人の好き嫌いがないのはすごいねと言われて一瞬「いや、好きとか嫌いとか思えるのすごいぞ?」と反論しそうになった。
「許さない」って言葉に意思が必要であるように(敵意の話 - ※個人の見解です)、好きも嫌いも意思が必要だ。
自他共に認めるコミュ障の友人が「相手の気持ちを自分の尺度で測っていいものか分からなくて声かけられない」と言ってきたとき、咄嗟に「でも宇宙空間で漂うより地球に立ってたほうが動きやすくないか?」という絶妙に分かりにくそうな返答をしてしまったことがある。
想像は無限大だ。三者三様十人十色千差万別。ずっと続いてく。おれが良かれと思ってやったことが余計なお世話になるかもしれない。その人がこれまで培ってきた価値感を推測するという途方もない道のりになる。そんな距離を歩くなら拠点があったほうが楽かもよ、ということを言いたかった。
拠点とは自分が自分の目線で経験した事柄であり、意思である。
その友人もあまり人の好き嫌いはないやつだ。そういう話に至るほど共通の知り合いがいないだけかもしれないけれど今のところ素敵な友達の話しか聞いていない。
思考の拠点を作ること、そこに城を建てることがたぶん好き嫌いの意思を固めることになるんじゃなかろうか。
僕自身は根無し草よろしくに、たぶん基本的に拠点がない。
精々建てるにしても簡易テントぐらいだろう。拠点に絶対の自信があるわけではない。
風で飛ばされない家を建てた時点から仲間とそうでないものが生まれる。
頑強な城になれば仲間か敵になる。そうしたことで人に対する好き嫌いが生まれる。
生来の鈍感さと、獲得した中立感が仲間意識も敵意識も鈍らせているんだと思う。
居場所がないというと「あるじゃん」と言われて「は?…あ、え、……ほんとだ、確かに」とボケたことを言う、贅沢な行為をしてしまった。改めて考えてみると色々な人に助けられてるし気にかけてもらってる。ナメくさったこと言っててごめん。ありがとうね。
居場所ってのはイメージだけど、拠点に作られた家で、仲間かそうでないものか測られているような気がする。
家主がおれを仲間と認めて合鍵をくれているのに、その家の「仲間か否か」という価値感が怖くてせっかく受け容れてもらえても入れないのだ。色んな家の鍵は貰ってるのにどこにも入れず野宿する。中立を求めすぎた結果であるように思う。コミュニケーションへたくそだなあ。すごいなあ。その鍵は気付くと変わっているのでたぶん半分以上もう使えません。
拠点はそこらじゅうにある。意識のマップじゃテントはどこにでも建て放題。その生活にも満足してるぜ。
どうにも所属することができないと思っているのは、人を好きになる勇気もなければ嫌いになる勇気も欠けてて、万人を愛した過ぎるせいだと思う。
その癖、頂いた「認められたい」という本
を読んでると殴られたような呻き声をあげ続けています。「自分の所在をはっきりさせたい」と打とうとしたが所在がないっていう所在でいるから根無し草やってんだった。
せめて話してて楽しい人とは緊張しないで会いたいな。おわり。
IFの話
もしああだったら、
もしこうしてれば、
騙されるな、それは存在しない。ダイバージェンスメーターはシュタインズゲートを持つ者に委ねるしかできない。彼らの正義しか押しとおらない。
騙されるな、敵は周囲にいるわけじゃない。常に今をベストの形にしていかなかった過去の自分自身こそ宿敵だ。そうだろう。
過去を断ち切るためにさっさと辞めた。もしもの世界なんてあり得ない。とうに失くしたものだ。
「もしこっちだったら」と言うがそっちだとどうなる?いいかもしれない?なら悪いかもしれないじゃないか。確実性はどこにもないんだ。評価基準はなんだったんだい?
過ぎた現実が全て平穏無事かつ至極穏当な現実になる。選択肢に迷う事は正しいのか。
認めてくれ。忘れることだっていい。思い返される故人の好みは知らないよ。
いくら悔やんでもダイバージェンスメーターは変わらない。過去には行けないから。
好きな人だけを守るんだ。みんな、各々、それぞれ。それが自分だという人もいれば家族だという人もいるし、恋人だって人もいるかもしれない。色々いるだろう。おれには意識できない領域だってあるだろう。
物語が進んで行くにあたって無限の選択肢を取ったのは自身の意思と無意識だ。右に行こうと思った。そのとき頭が痒くて掻いた、それだけの右手がどこかに繋がるかもしれない。何かが始まるかもしれないし、日々を終わらせてしまうかもしれない。
調子を取り戻したのか相変わらず明るくて強かった母さんが涙を流した。どうでもいいことで泣いたとはぐらかされて、言及できないおれは窓の外を眺めるばかりだった。
おれにとっては居なかったことになってる。ただ明確な傷だけを残して。
骨が折れて、くっつかないままぽっかり空いてるのに、表皮だけが治っているみたいだと思った。押したら空気にぶつかる。折れた骨が痛い。そんな感じだ。
泣けるというのは傷を癒している段階なのかもしれない。感情の傷は感情でしか治せないのだろうか。
もしもああだったら、と声を漏らすことは現状を受け容れるためのものかもしれない。過去の自分をも肯定しようと必死なのだろう。
辛かったことも楽しかったこともほとんどが無かったことになっていると母にこぼしたらそんな訳はあるかと笑われた。
記憶がほとんどないのは頭のスペックのせいか、ストレスのせいかなんなのか。
階段から声をかけてきた姿と、死体と、カラオケでの笑顔と。それぐらいしかない。
父に至ってはいつもの笑顔と冷たい死体と離婚だという一度きりの罵声だけ。
もしおれが違う行動を取っていたなら、おれはもう少し安定した精神でいたかもしれない。もしおれが違う行動を取っていたなら、生きていたかもしれない。
考えて変われるなら考えろ。変わることなどないのなら空想だと理解しろ。
世界線はきっとどこかに集束する。無数の命を踏み越えて。
他の世界線には移れない。他の世界線ではあいつも生きているのかもしれないが、そこはおれの居場所じゃないんだ。
壮大すぎて頭が過熱する。分岐路が四次元方向まであるみたい。
今を許して。他の世界線の幸福でも祈って。変わらないものを変えることは難しい。ぼかあ許されたいので、どうにか今を許そう。
離人みたいな感覚が剥がれない。考え事をするとずっと何かが集束してる。おやすみなさい。
散らかってる話
梅が咲いてる。今にその街から出ている。天気がいい。
桜前線ならぬ梅前線で死にたさや精神不安定が発生するなら季節に合わせてずっと北上していったら人の精神は安定するのだろうか。
梅の前線に合わせて曇天の重力井戸の底へ帰る。流石にもう過ぎ去ってるのだろうか。
春の始まって起きていく気配はなんとなく落ち着かない。暖かさが落ち着かない。秋の終わって眠っていく感じのほうが好きだ。冷たい空気で身体が凝縮される。
人を思いやって止めたつもりのことを後悔したくないから止めたのを止める。エゴでしか主観的な人生は進まない。
一台のバスに詰まった人生の密度を知らない。傷つけてしまうかもしれない。不快に思わせるかもしれない。
これまで何冊の小説を読んだことがあるだろう。一人称視点の本はそのキャラクターの人生の主観だ。だのにキャラクターの半生も知らないことに気付いた時は驚いた。
人に声を掛けるのはまだ少し緊張する。だけどおれがその人を知らないように、その人もおれを知らないというのは安心できる。
意外と誰だってどうでもいいのだ。旅の恥は書き捨てだ。
実の所自分だって自分をよく知らない。生まれて思って考えて、その履歴はノートぐらいにしかない。
貫徹することに怯えなくていい。人は変わる、社会は変わる、世界は変わる。毎日変わる。
ベストな選択をしたって逆転されることもあるし、その場しのぎの一手が好転の種になることもある。
手を繰り出せるだけでもすごいし、一回休みしたっていい。そのままでいい。死んで正解に着きたいなら即神仏になろう。なんかわからんけど修行しよう。
帰ったら死のうと毎日思っていた頃、ふとバスで見えた水平線に鳥肌が立ったことがある。
海はあまり好かない。あの奥に意味のわからないほどの生き物がいる。深いし。息はできないし、暗いし、怖いし。
住宅地と山ばかりでぎとぎとした視界が海と空だけになった時は死ぬのかと思った。
あのとき晴れていて、海が青くて、海が好きじゃなくてよかった。
せっかく記事を載せていただいたのに全然関係ないことを書いてしまった。
載せてくださったメンヘラ.jpさん、読んでくださった方々、ありがとうございます。
実はどんな駄文か怖くて確認できてない。だけど大丈夫、きっとそんなに気にされてないのさ。
そういう軽快さで時速100kmぐらいで進んでる。たぶん。こういうときにさっと寝れる人が羨ましい。おやすみ。
お酒の話
お題箱第2弾。
☆お酒は何が好きですか。お酒について語ってほしいです。
酒はビールばかり飲みます。考えるのが面倒で。焼酎以外なんでも飲みます。あ、でもホッピーは好きです。
アサヒの喉越しが好きだけれど、これは祖母宅の飲み会がいつもアサヒだったせいだと思う。よく飲む第三のビールはアサヒプライムリッチ。
ビールに関して頑張って言うとヴァイツェンとかペールエールが最近は好き。前まではIPAというもうアホ苦いやつが好きだったけど最近甘みのあるもの好き。味わうという行動ができると気付いたため。
詳しくはないから話振っても面白くないと思うよ。なんせ最強の記憶力!どれがどううまいとか覚えられない!悲しい。
絶妙に関係なかったけど「僕ビール、君ビール。」というやつのイラストが好きで美味しかった記憶はあるので是非探してください。ローソンにあることがあるらしいです。アマゾンになかったからリンクは貼れない…。
無難にハイボールもよく飲むけれど、こっちはあまりこだわってない。
金の消費が激しかった頃はジャックダニエルにどはまりしていたからそればかり飲んでた。大学生は大人しくブラックニッカ飲むべきだった。金銭的に。
今はブラックニッカとかトリスとか、安いやつしか飲んでない。昨日飲んでたのは友達引越し企画にあたって余ってたらしく貰ったジャックダニエルだった。最早ふるさとの味ってぐらい安心した。
そういえば卒業祝いにって後輩がボウモア12くれた。もったいなくてまだ飲めてない。
梅酒がおいしいと思い始めたのはヴァイツェンを好みだしたころから。でも甘すぎるのはあんまり飲めなくて日本酒ベースの梅酒ぐらいのすっきりさが美味しい。香りと味でちゃんと楽しめるのがいい。
梅酒をたくさん置いてる店に通っては好きになったこればかり飲んでたので覚えました。おいしいよ。
日本酒ではにごり酒かしぼりたてが大体好き。
新潟県の日本酒はガッツリ辛口らしいのでそれらは家族の舌にはあまり合わない。ぼくには菊姫のほうが本当に合わない。辛すぎ。
日本酒を飲みすぎるのはやらかしたことがあって怖いのですごいゆっくり飲む。
吉乃川の冬季限定甘酒仕立てのにごり酒が好きで毎年買ってる。美味しいので甘酒好きな方は是非!
ワインは好んでは飲まない…一言でも言えない…。
大体アルパカのシルエットかわいい!とかで買ってます。酸化防止剤が良くないという話を聞いてから自主的には飲まなくなってしまいましたが赤の渋みが好き。
親が白の辛口が好きらしいので自然とそっちのほうが飲むことは多くなる。食べ物が一緒にあるほうが美味しいお酒って認識であってるのかな。
あってるとしたら食べ物をあまり楽しめてないから向いていないのかもしれない…。
焼酎はホッピー飲むならキンミヤと教えていただいたのでキンミヤだけ所有してる。たまにホッピー買う。東京行ったらホッピー飲むのが楽しみ。
おとといはハイボールで、さきおとといはカルーアミルク飲んでました。その前の日は飲み会でビール大瓶3本程度は飲んでたろうか。さらにその前の日は日本酒かっぱかっぱ飲んでた気がする。差が激しい。カルーアミルクて。
全部に言及してたら意外と長くなった。お付き合いいただきありがとうございます。