状況の話
自分が見ていない内にすごく状況が変わってしまった、と思うのは日々の変わる速度についていけていないからかもしれない。
ずっと前まだテレビを見ていたころに、アハ体験とかやってた気がする。
徐々に変わる映像を見てどこが変わったか気付くことはできないけど、最初と最後の画像の違いは一目瞭然だ。
なんか、たぶん、それだけ。
ちゃんと敏感に映像の変化を察知している人やヤマを張って当てる人もいる。
ご飯おいしいなあって別のこと考えてたら見てない人もいる。当てられないのが悔しいから考えてないしそもそもあまり見つめないおれみたいな人もいると思う。
たまたま最初と最後の画像の違いを断片として知ったから状況の変化に驚けるんじゃなかろうか。
ずっと変わって行くさまを見てたらあまり気付かないだけでいつだって変わってる。
変化に気付いたからって別に人生ごと変わるわけじゃない。さすがに青かった空の写真が赤くなったら気付くと思うし。
だから安心していいし別に関わることを諦めなくてもいい…こうしておれは浅くしか関わりを持てずに広くなっていくんだ…。
別に辞めていったっていいけど、革新を求めるなら辞めない。
何がどうなったって大丈夫。変わってみたいならやってみよー。
いつも、気付いたら画像を差し替えられていて、おれがいなくても進むんだと当然なことに何故か傷ついてた。傷つきすぎたら関わることを諦めてた。
思えば不思議な観点だ。
全部できるだけ受け止めたいと思うわりには狭い心な気がする。
自分が友達とつるまずに生きてるうちに、ある人は友達とつるんでた、その記憶をそこで語り合ってるだけなのに、なんで一歩引いてしまってるんだろう。
嫉妬の形が歪んでるみたいな、違和感を感じる。
喜怒哀楽の設定ミスで怒にスイッチが入ることが滅多にないように、七つの大罪もたぶん設定ミスしてる。罪を犯さないならいいことととるべきか。
少し前から、ストーブ点けると本体が熱くなりだした。あと1ヶ月ぐらい持ってくれ。
少しずつ部屋のものを減らしているけどまだなくならないの面白い。ちょっと引越し準備急がないといけない。
減らしてるつもりのものがただ実家に移動してるだけというのも面白い。
今日は朝昼食べてなかったけど、夕方にパスタを食べた。えらい。