20170211
日記書くときに音楽をかけている人が数少ない読んでるブログに最低でも2人いるのだけど、もう尊敬すら感じてる。
音楽があるだけなら楽しく集中できるし、なんならセンター国語だって絵を描くのだって音楽かけてたほうが集中できてた。
だけどいわば作文であるブログ作りをしているときに流れている歌詞があると完全にそれに引きずられる。
なんなら歌いだすからもう文字打つどころの話じゃない。耳なじみした曲のほうが集中しやすいらしいと聞いたことがあるけど、耳なじみが良すぎると主に歌詞に行動の主権を奪われる。
おれもなんか聴きながら日記書きたい。いいなー。
ここまで日記を書いてから集中力が途切れてツイッターを見ていた。
リツイートで見た、人の体験談を載せているサイトで、「死」という簡潔なワードのみがタグ付けされてる話を見かけた。
何故か笑った。死って!他にもなんかもっと言葉あったろ!せめてもう一つ二つとかさー!って一人で笑ってたらお隣さんが立ち話してやがってうっせーな殺すぞと思って窓際に立っていた。何度か苦情を申し出ていたからお隣さんは察したのかすぐ引っ込んだけどもう隣の家を燃やそうとかしか考えてなかった。
ここでようやく気付いた。なんだか攻撃性が高い。
外向きの攻撃性は倫理の抑制がある分まあマシだけど、これが内に向いたら自主的な流血沙汰ありうる。できたら避けたい。
攻撃性上げてくのは後々すげー疲れてるからやめたい。
僕は博愛主義者だからなと言おうと思ったら博愛主義というのは全人類が相思相愛しろという主義っぽかったから博愛やめた。
主義って付くと一気に大仰だ。自分は自分で、それでいこう。
気圧から解放されてテンションが高いのだろうか?でもまだ頭はどくどくしてる。パソコンの見すぎか。
喜怒哀楽ミスってるって言った割にもう怒が出た。ちょっと笑うわそれ。
ハンターハンターを前から借りててしばらくかけて読んでいたのだけど、噂のゴンさんはどこだと思ってたら見事ゴンさんのいる巻を借り損ねたようですぐ友人に電話をかけて借りてきた。よかったよかった。やっとゴンさん分かる。
このフットワークの軽さは生来のものかハイテンション由来か。
自分がどういう者なのか、何が平常なのか分からなくなる。反復性鬱だと言うのだからそろそろ平常でもおかしくないんじゃない?どーなんだ?いつが平常だったんだ?
勢いのまま文字を打ってるとどんどん文章の形から崩壊していって直すのがたいへん。
今パソコンからはイージーリスニングの川の音流してCDプレーヤーからは虚無病のCDを流してる。
なんだ、聴きながらでも出来んじゃん。