20170212
みんなって言葉はすごい影響力を持つ。最早暴力的だ。
「みんなやってるよ!あれ欲しい!」
「みんなって誰?」
という問答に経験のある人は少しはいると思う。
同調圧力にひれ伏し続けたガキだったから「みんな」が持ってるDS欲しかったし、「みんなやってるよ」と言われれば違和感を覚えたとしても同調した。
「みんなはこうやったらしいよ」と聞けばその手順に従う。
他の人の行動を気にしすぎだ。輪を重んじてすらいない。
ただの一歩でも、見えない境界線からはみ出ないように必死であるように思う。
あとからコソコソ言われたり、あいつは違うと言われたりしないように。
あんまり「みんな」の動きを注視すると自分がいなくなる。観察者になってしまう。
もったいない事をしたかもしれないなあ。
冒頭の問答にはたぶん想像されたような続きがあって、
「えぇと、○○と、××と…あれ?とにかくみんな!」
「なんだ、全然みんなじゃないじゃん」
と来る。
飛び出た特徴が羨ましくて「みんな」という徒党のイメージを作りだしてしまっていただけで、実際そんなにやってる人はいなかった。
自分の感覚や持ち物と比べて飛び出た違和感は全部敵だ。優れていると思っても劣っていると思っても、理解すらできなくても敵だ。
DS持ってる同級生は全部敵だった。単純に羨ましくて悔しかった。
違うものは排除しなければならない。それができないなら、徒党の仲間に入らなければならない。自分が違和感を感じ続けることは不快だからだ。
”しなければならない”と繰り返した割におれは諦めてたけどね。あぶれてしまわないならどうだっていいけど。
悲しいことに何が言いたかったのかわからんくなった。
「みんな」って何者だ。怖い。
ご飯食べたい。