※個人の見解です

思考の整理や自分語り

敵意の話

許せないって言葉は割とどこでも目にする。

心地いい言葉ではないけど、許さないって心の底から発する人のことが少しだけ羨ましい。

許すとか許さないとか、許されないとかは自分の正義が貫かれて初めて生まれる悪意のようなものだと思うから、のらくら生きてるおれには黒すぎて眩しい。

ネット上ではっきりとしたその人の存在感を感じさせるのは大体黒だ。優しさには鈍感で、敵意には敏感でいる。白は風景と混ざる。

誰かに敵意を向けてるわけではないのに傷つけていく人のグレーの輪郭線はナイフでできているから気をつける。こちらが間違えなければお互い傷つかない。

 

黒色に触れると過剰反応する。風景とあまりに違って、自身の潔白も相手の黒に染められたように錯覚する。

だから人同士の摩擦は起きる。勘違いから生まれているんだ。

 

友達に向けられた悪意を自分が聞いてしまって怒るのは果たして最良の行動か。

いや、おれだって友達の悪口を聞けば腹が立つぐらいはする。友達は大切だ。ただ悲しいかな、自分のことは大切じゃないから自分のことのように大切とは言えない。

悪意を垣間見ると、胃の中に黒いものが入って気持ち悪い。息も苦しくなる。でも大体ただの「特徴」と思ってた部分が悪口に変わってるだけだから、あまり構わない。言いたいやつに増徴しない程度に喋ってもらってガス抜きさせるのが役割かなと思ってる。

おれが怒ってもどうしようもない。ある時、大学の友人Aから大学の友人Bに対する悪口を言われたが、AはBのことを友達とも思っていない。だから悪口を言うのもおかしな行動でもなかったし、気分が悪くなってそういう陰口はやめようと制してもAは不満げにぶつぶつ言っていた。

これじゃ僕がAの友人たる「利点」はない。利用してもらえなくなる。

Bの行動に耐えて黒色を溜め込んでしまったAは、ただ黒を少し空気に放ちたかっただけなんだろうと感じた。

 

悪意や敵意がおれに向けられたものかそうでないかの判断は難しい。へらへら笑って走り回っていれば多少の擦過傷は気にならないから。

友達に向けられた悪意や敵意、人とのコミュニケーションに滴る黒色は結構恐ろしい。

恐ろしいけどまあ、友人Aは僕のことを信じて生臭い黒色を教えてくれたなら、Bが良いやつでもAのことを受け止めたいとも思うよ。どんなにグロテスクで見たくなくても。

 

感じた事実は曲がらない。ストレスは溜まり続けるばかりなら、少しでも楽になるようにどちらの友人にも話してもらいたい。どんな悪意を聞いてしまってもどちらも友人だから気にしない。

黒も白もどうでもいい、灰色で空気みたいな曖昧な正義感で、人としての形を落としていきたい。

善人すぎて忘れられるほどになりたい。