中毒の話
今日はamazarashiのCDを買うために街まで出た。
途中住所変更手続きをして、必要なものを買いに出た。
そしたら店が休みだった。仕方ないなとコンビニに入ったがまたなかった。
今日はもうついてない。ことごとくダメだ。ああまた腕が裂けそう。って普通に考えていたけれどこれうつヌケで認知の歪みとして紹介されてたやつにそっくりだなーって「みんなやってる」の呪縛にそっくりだなって落ち着く。
全然身体は不調になってるけど気分にはそこまで影響しなかった。オッケー元気だ。
元気でも相変わらず血を流す。これはなんなんだろう。
一度身体を切りつけてしまえば落ち着くかもしれない。そういう信仰は脳裏を掠めるけれどアル中は何年断酒しても一度飲んでしまえば元の木阿弥と吾妻ひでおが言ってたからそっちを信じたい。
中毒なのだから一度だけとやったってその快感に溺れてしまうだろう。僕は弱いんだ。
自傷行為をやめていた人が一度切ってしまっても否定しない。今までがんばったしまあセーフじゃない?とかうそぶくと思う。
自分のこととなると扱いが変わるのは不思議だ。
おなかが鳴ってる人がいると「おなかがかわいそう」と言う。
眠いと言ってる人がいると「寝てあげろよ」と言う。
自分のこととなると空腹を放置して峠を越すのが面白くて、眠くたって峠を越す感覚を求めたくもなる。
人に優しく自分に厳しくを履き違えちゃいないか?それは(恐らく)精神論であって体罰の話じゃないぞ。体罰を与えれば厳しいことにはならないぞ。
おなかが鳴ったら食べて、眠くなったり明日が早起きの予定だったりするなら寝て。それで健康に生きたらいいじゃない。
自傷行為を過剰に嫌がってるから囚われるんじゃないか。
もっと意思を受け容れて、イメージの流血を抑えてあげたい。いい加減貧血なっちゃうよ。
弱さを認めて、意思を受け容れて。
人のことも自分のことでも否定せずにいこう。それがなんだか最強な人間だと思った。
最強最弱で存在が希薄。あぁ、なんかいいね。死ぬほど中二病。
結局CDは買えたし、ラーメンも食べた。過疎キャスに遊びに行ってみたら落ち着いてて素敵だった。いいところを拾っていけばいい日にできるいい日だった。
明日は早いので寝る。おやすみなさい。