父の話
部屋のポスターを剥がしたところから宗派や思想の転向と映画スタンドバイミーで奪われた帽子に思いを馳せてたのでその話を書こうと思ってたけど昨日の二つのブログは家族に関したことだった。
なので父のことでも書いてみようかな。
まず言うがおれは父が嫌いだった。怖かった。
世間的に言う良い父親であったとは思うけれどほんの数回だけの完全シカトで挫けた。
いい父だった。好きだった。のがいきなり怖くてつらくなった。
自分が悪いとも、どれがどう悪かったとも納得できていないのに黒々とした重い雰囲気に負けて謝ることになってなあなあに解決したフリを繰り返した。どう謝ってたのかとか記憶は無い。他の時期と同じ程度に笑った顔の写真は出てくるけど、記憶がない。
一人暮らしが始まった。ゴールデンウィークと夏休みに帰ったら元気そうだった。いつも通り死にそうな咳をしてるからいつも通りタバコやめれば?って言ってた。
学祭であったら死にそうな面をしてて声もまるで変わってた。本当はそんなの行くなってドクターストップかかってたらしい。
すぐ入院して1ヶ月ぐらいで死んだ。
おれから何も打ち明けることもなくただできるだけ穏やかに死んだ。
色んな思いの食い違いを直し損ねたままだった。
性自認の話を(母は何となく察していると楽観的に見るとして)父には伝えられないまま死んだ。喋れなかった。
喋れるタイミングはあったのに。つらかった復讐として追い討ちをかけれたのに。
辛そうな人たちにより考え事増やさせるような真実言わないっていう優しさですね。果たしてそれが最良だったのかただ自己保身に走った結果か分からない。
復讐をできなかったことはなんとなくこの先の精神状態にもずっと関わってきそうな気がする。昔はそれだけをモチベーションに生きてたんだもんな。仕方ないわな。
復讐は何も生まない。
何も生みたくない、つまり死にたいから復讐をしようと思ってた。
親ってもうちょっとぐらい生きてるんだと油断していた。完全に誤算だった。
死んでくれてせいせいしたとなるわけはない。おれが死ぬタイミングを道連れに死にやがったのだ。それだけが悔しい。
あんまりifの話をしない兄貴だけど、もし父が生きてたら妹は死ななかっただろうかとつぶやいていた。
どうにもできないぜ。悔しいな、だるいなあ。
父のこと好きかもしれないけど、同時におれのクソみたいなメンタルを破壊した張本人だと正直恨んでいる。紙飛行機飛ばしながらあーあって思う程度に恨んでる。
このごちゃごちゃ感もちょっと気持ち悪い。好きなのかもだし嫌いなのかも。
嫌いな人がほぼ居ないから同一人物に好きと嫌いを同居させることができない。
「好き」か「居る」か「居ないことにする」。嫌いに対応するのが三つ目の無関心だけど好きとか居るとかと共存できない。難しい。難しい。