※個人の見解です

思考の整理や自分語り

20170410

誰かの思考の結晶をどうこう言うのはナンセンス。

これは個人的な気持ちの話。

 

詩というものを書き続けているが、おれは単に音が全てだと知覚していた。

口に出したときころころ転がる語感を元手に、頭を抱えるのが作詩だという風に頭が固まっていた。いつの間にか。気付かなかった。

現代詩で調べたらおれの一番好きな作家もwikipediaに載ってた。おれが好きなのは現代詩なのか?近代なのか?わかんね。

 

一番好きな作家と言うのがかの有名な谷川俊太郎で、好きと言う割りに二十億光年の孤独しか読んでいない。

正確に言うと持ってるよ。持ってるが、読みすすめる気が起きなかった。

あれが出版された時作者は18歳と書いてあったかな。諦めた思春期が為せる透明な感覚に惹かれた。(救いの話 - ※個人の見解です

技巧的に攻めるでもなく、日記のような平凡さでカツンとした、結晶のような詩がかかれてた。だからあれしか読んでない。年を重ねれば人はそれだけ保守的になる。それが怖くて読んでないだけだ。透明なままでいてほしい。

 

教えてもらった現代詩は感情の羅列という感じがした。生のままの感情で、透明とはどこか違う感じがした。し、話続けていてこれは感情の反応の違いなんだろうなと勝手に納得した。

 

いまや別に自分と違うものを廃絶したがるほど幼くはない。

どちらが優れてどちらが劣るという話でもないししたくない。

ただ面白い。

おれが語感が全てだと思ったときに、別のものを第一にした作家もいるというのが不思議だ。その差を愛したい。

 

 

すごく良く撮れた気がする写真は独り占めしたくなると言ってた人がいた。その気持ちはよくわかる。

詩を何編か、ある友人には送りつけたがぶっちゃけ本当に自分が気に入っていたやつは送りつけてない。

絵を描いたらそれは他人に見せねばならぬという風に思っているのに一人で書く文は他人に見せようとならないのは不思議だ。

もしかしたらある種のマウンティングなのかもしれない。オレはテメーより優れているぜと心の中だけでも思いたいのかもしれない。絵はね、詩より経験が浅いんだ。でもって評価というのは最初は自分の中でしか起きないんだ。比べる対象が少ない自分という存在ならさぞかし楽に歪んだ自己愛を満たせるだろうよ。

そう考えるとスゲー不愉快だな。積極的にリーサルウエポン使っていこう。2回しか使えないボムならとっとと使い切ろう。背水の陣でいこう。

 

密度と純度を上げた結晶体として、成長をしていきたいだけだ。多様性も成長に必要だ。できたらこの手を掴んでください。