20170429
酷いぐらいの量下書きがあるけどどうも筆が進まない。
どれもこれもクソみたいな中二的な発想なのかと思うと自分を殺したくなる。殺さないけど。そう思った事実も消さないでおくけど。
自分が昔書いた詩を見ることは楽しい。部屋で陰鬱とした気持ちで居た理由すら思い出せるから。
時々その暗い気持ちの文字列がすごく中二病的で、あぁ頑張って死なないようにしていたんだなと思うと微笑ましくて、だけど敬礼でもしたいような気持ちになる。死ななかったおかげでまだ生きてるよ。楽しいこともあるししんどいこともあるよ。嬉しいこともあるよ。辛すぎることもあったけど死なないでくれてありがとうな。まだもうちょい笑ってこうや。
言葉を考え出そうとするとカッコつけてるように見えてイタいか否かって基準が思考の大きな位置を占めるようになっている。こんな日常的でない言葉を使ったらまたイタいのかなって思うと本当に指が止まる。今平然と文字を打っているが自分で「中二病的」とか言うことで予防線張ってる。防衛戦線ギリギリ。
いつラインが崩されるかの勝負です。
ていうか何までなら許されるんだ、マジで。つい数日前までは自分で許せてたのに、折角積み上げた価値観を自分でぶっ壊すなんて勿体無い真似したな。
すぐに直る(治る?)と思ってたけれど、全然落ち着かない。時間経過で戻らないならしっかり向き合うしかない。仕方が無いので気分が安定してるときに思い出して追体験をしようとすると「死ね」という簡潔なワードにずっとペンキが塗られるだけで状況を整理する前に感情に引っ張られる。
思った感情を否定し続けるのはしんどい。たぶん心の底から自分に対して怒りを感じて、自分に対して死ねって思ってんだ。どこか死にたくない思いもある癖に。
受け止めるのって難しいね。全部飲み込むのは楽なのに。
もう少し自分に対して優しくなれないとたぶんよくない。
人にどう思われるかなって緊張するのも、人なんかどうでもいいから死んでしまえと思うのも自分の理想像が強すぎるせいなんじゃなかろうか。
どうせぼかぁチビでひどい冷たいやつででも生きるのは大好きって割り切れたら楽そう。優しくなりたいと思えば思うほど自分の攻撃性を否定してしまって遠まわしに自分の人間性を否定してしまう。
自分の領地を自分のためだけに守りたいのは、人間が動物である限りあり得る縄張り意識だ。利益を得るのは自分だけでいい。フツウは圧倒的大多数の人と領地をシェアして資源を取らない。資源は限りあるから自分のためだけでいいと心のどこかで思っているのに、みんなで使えばいいと優しい人ぶって利己的な人間である自分を否定しようとする。
自分の為だけに生きてもいい、利己的でもいいと思えたら幾分か楽になるんやろか。
誰より先に自分に対して優しくなれたらいいのにね。
夜ですね。寝ましょうか。
おやすみなさい。