※個人の見解です

思考の整理や自分語り

食の話

今日は結局炭酸水(刺激のあるものを飲みたい)とヤクルト2本(味のついたものを飲みたい)とアクエリアスビタミン(味のついたものを飲みたい)、それから適当な菓子パン3分の1しか摂取していない。

当然ながら一日ぐらいそれで全然元気に生きてる。乳酸菌は胃酸で死んでしまうと午前に聞いたが乳酸菌を鍛えてると思ってポジティブな気持ちになってる。生き残った屈強な乳酸菌だけでいいんだ。それがきっと摂理だ。(?)

 

おれは体格が人よりかなり小さいせいか、なんというか燃費が良い。1200キロカロリーとったら基礎カロリーをもう超過してるぐらいだ。確か。

でもでかい人と一緒に歩いたら歩数も違うし結局同じなのかな。運動したから食べたい!とかも特にならないからよく分からない。たまに腹が減ると感動する。生きてるって感じする。

一人暮らし真っ只中に段々気付いたけれど、たぶん胃もだいぶお疲れだ。食べるのに向いてないんじゃないかとか思う。味に対する執着とかもあんまりない。

たとえば、寿司というと「おいしいもの」というイメージがあるから行きたいけれどいざ行っても特に食べたいものはない。認知症になってしまった祖母が「おいしいもの食べたい」と喚き散らしても本当に食べたいものがないように、「おいしいもの」が具体的な品や味や雰囲気ではなく概念的になってきている。追いつけない。追いつこうという気持ちもない。

かつておいしいと思ったものばかりを追いかけてる。反射でそれ食べたい!と言って全然お腹減ってないとかよくある。買ったのに腹いっぱいで気持ち悪い…と思いながらおいしかった記憶だけ反芻してる。

ツイッターに誰かがアップしてる今日のご飯みたいなのはなんか本当に羨ましいなーと思うし食べたいのだけど、もし食べたとしても結局感想言うの下手で後から悔やむのだろうなと思うと悲しいというか面倒というか。だったら食わないほうがいいよなっておかしな納得をする。

料理作れよって言われるけどまったく楽しさを見いだせなくてヤバい。

 

作業な感じがイヤなんですよね。これをしないと生命が存続しないって不思議で。

生命を存続させるための行動に楽しさや快感を持つのはきっと健全な欲の人の為せる業だなあと思います。…と言うと少し語弊があるかな。生きてる人ができることだ。おれはずっと生きてない。各位全力で楽しんでもらいたい。

ちょっと頬がこけてる気がするから明日はちゃんと時間で食べます。

 

 

食欲は死に掛けだし性欲もあるかないか分からないぐらいだし睡眠欲は睡眠導入剤がないと満たされない。三大欲求が完全にガタガタなのに精神科に駆け込んでGID(性別違和)の診断書をもらった。ホルモン注射はしばらく考えてないから再診の予定もないし、すごく快活に元気に喋った。

元気なフリは時々楽だ。バカなフリも時々楽だ。実際頭は良くないと思うけど。

 

とりあえずにこにこしてれば誰も深追いしようとしないし、不機嫌な雰囲気を放つより人に印象を残さない。自分の胸もムカムカしてこない。ただ続けていたら代償が来る。精神力は有限らしい。

隠してるものは気付かれないんだってよ。どうするよ、俺。