※個人の見解です

思考の整理や自分語り

本とかの話

僕は今日、朝は人とLINEをして、とりあえず一安心したらシュトヘルが試し読み無料だった巻まで読み、昼飯を食い、腹痛を起こして吐き気と戦いながら用量を自然に飛び越え、落ち着き、マンガが面白かったから何か読みたいなと鋼の錬金術師を出し、3巻の途中で読み疲れ、自分で勝手に出したブラックジャックの話題でブラックジャックを読みたくなっている。

ブラックジャックは文庫本サイズであと2冊を除いて持っている。必ずブックオフで通る場所。

 

それなりにマンガを読んでいるほうだと思うけれど、大体のものは一読で覚えられないから何度でも楽しめる。今週のジャンプの話題とか振られてから調子を合わせておいてもう一回読み直す。

一読以上をするようになったのは、小説だけど芥川龍之介の河童からだった。中学校かそこらの頃に読書週間でオススメにあがってたから買ってもらって、ラノベばっかり読んでたからなかなか手を出してなくて母が先に読んで、「止めはしないけどちょっとまだ難しいんじゃないかな」と言われた本だった。購入から5年、20歳ぐらいでやっと読んだ。父が死んだからだ。

自分の感覚では、仲のよかった家族が逝去するとそれまでほどほどに好きぐらいだったことにドハマりする。すごく好きで浸かっていたくなるんじゃなく、沼に頭から飛び込む感じ。家族それぞれ持っている。「は?そんなに?」ってなるほど。

失くした重大なものから目を背けるための機能なんだと思っている。冷たいだとか思われるかもしれないし、立ち直れない人や後を追ってしまう人はきっと熱を持っているのだろうと知ってる。おれ(家族)の喪失の許容方法が「他のものにハマる」だっただけだ。持て余した熱はどこかに向ければいいかなって。苦しみ続けるのはしんどいもんな。

 

河童、何故か父親を亡くした心にクリーンヒットしてしまい、結構気持ち悪いほど読んだ。時間潰す?本?河童!程度ではなく、鞄に財布とノートと筆入れと河童!というレベルだった。もう持つことに依存してた。1、2年読み続けてからやっと芥川龍之介のほかの作品にも手を出した。完全に生活の一部になるほど読んでから、やっと繰り返し読む楽しさを知った。

新しいものを読み続けるスタイルからあるものを何度も読むスタイルに移行しただけかもしれない。新しいものの刺激に耐えられないのかな。よく噛む良さを知ったのかな。

 

何度も読んでる本は、小説では河童だけで、漫画だと…失踪日記、アル中病棟、ブラックジャック亜人ぐらいかな。あっ、プラネテスも読んでる。短編とか短い作品が好きですね。亜人はどんどん長くなってるから段々読まなくなっている。新刊がでたら10回ぐらい読むだけ。だけ?だけってなんだ?

 

今日はたぶんまた少し読んでる詩集を読み進めます。あとせっかくなのでブラックジャック亜人も読みたい。プラネテスは一巻だけでいい。

 

今日はすごく頭を働かせてるせいかお腹が減る。腹痛なのかはらへりなのかはっきりしてほしい。暑いし。

それでは、この町はなかなか蒸しますが、皆さんよい夜を。