※個人の見解です

思考の整理や自分語り

正しさの話

決断を恥じることはない。後悔することもない。いや必要がない。恥じても後悔してもいいけど、必要がない。

 

『失敗して、本当は安心してるんだろう』

「そんなワケがあるか」

叶うはずのない夢を叶えられない理由ができて、安心しているんだろう

「そんな、ワケが、」

このまま地球に帰って、ぬくぬくと年をとって、あの病気がなければ俺も今頃はと夢を語りたいんだろう

「は、クソ、黙れ」

宇宙は真摯でないものを愛しはしない、だが許してくれる

「黙れ」

謝罪するなら今のうちだ

「黙れっつってんだろ!」

バキィッ!

 

適当に記憶のままに書いたので割りと違ってると思います。プラネテスというマンガで、宇宙ゴミ拾いが職業の主人公が事故で空間喪失症に陥ったときの自己との対話です。あるいは宇宙との対話なのかもしれませんが。最後逆ギレで頭を扉のプレートに打ち付けます。

あれぐらい自分の目的にワガママにいれたら気持ちいいだろうなと思う。強固な、たった一つの決意ならではの不安定さはあるけど。

 

夢が一つしかないって怖いです。大学入学できてなかったら(滑り止めはあったけどそっちには興味がなかったので)飛び降りる気満々でしたからね。

目標は二つ以上持て、と手塚治虫は言っていたらしい。彼の場合は医者か漫画家という凄まじい二つだったらしいけど重要な話だ。母に言い聞かせられたが残念ながらおれはそんなに要領良くなかった。

 

不安になる。選んだ道で正しかったのか、一浪したくせに卒業してからずっとパソコンを眺める無職人をやってることは正しいことなのか。

さて、そんじゃあ「正しさ」って何だろう?世間一般常識か?小路のおばちゃんの井戸端会議か?

「平均点」のことか?小中で何回平均点チャレンジクエスト失敗した?俺は小中まで(たぶん)全クリしたけど高校で受けたクエスト全部失敗したよ。

そこでやっと気付いたけど、平均点ってほとんど満点の人とギリギリ二桁とかで安心する人で形成されてるんですね。取れなくなったから言いますが、「みんな90点ぐらい取れるもんだと思ってた」。それが正しさだと思ってた。

 

冒頭のもう一人の自分との対話は「俺は90点どころか100点取れる」ってギリギリのラインを歩く危ない人だ。正解は100点にあったから不安定だった。鋭くなりすぎて今にも折れそうな感じが好きだったが、結果的にやつは愛を知って丸くなった。目的も達成した。ギリギリまで尖ったキャラクター像が好きだったから残念な気持ちがあった。

だけど、通った道が正しさになる。あのキャラクターが愛のしなやかさを知ったことはきっと正しかったんだと思う。

 

正義の反対は別の正義。悪意に普遍があろうと正しさの普遍はない。歩いた道こそ振り返れば正しさだ。あの時の最良だ。

開き直ろう。生きてる瞬間を全部大切に。あるいは全部投げやりに。後悔しない形ならなんでもいい。

 

 

健常根性論に近いのかもしれない。書いていて何かを消耗した。もっと優しくて鋭いものを書きたかったんですけど。文章の流れがイカレてるからかもしれない。なんだか気持ちよくいかない。

書いてる途中amazarashiの奇跡という曲が流れて、あ、これに全部書いてあるじゃんと悔しくなった。正解でも間違いでもそれが分かるのはどうせ未来で今は走るだけでいい。諦めるのも引き返すのも僕らの答えでいい。

そんなことを思った今日のメンヘラ.jp。

menhera.jp

生きてたらなんとかなるなんて訳はない。と妹の自殺の記事にブクマコメントが入ってた。不謹慎モードな時に読んだから、それはそうだと一人で大笑いしたが、「お先真っ暗な中死んだ虚無」になるか「決意してしまった人」になるかぐらいの差はあると思う。

人生つらくて、未来が暗いから死ぬって、虚無そのものになるみたいで怖い。空虚に喰われるって、どうですかね。スゲー嫌いな怖いものに喰われてその一部になるってどうですかね。それでもよかった記憶もあるけど。どれが正しいでしょうね。

 

長くなってきた。やめやめ。おしまい。吐き気する。