※個人の見解です

思考の整理や自分語り

自責の話

なんとなくどうしようもないので、「自責」について考えてみようと思う。

 

自責は生むものが少ない。

自責とは自分を責めとがめること。(広辞苑より)

責めとがめたその先には何もない。自らが起こした心の動きだから、罰の形を誰かから与えてもらえないのだ。

カッとなって知らない人を殺してしまって、たまたま逃走が成功してしまった。なんでもなかったように幸せに暮らして、黒々とした気持ち悪さを抱えたまま生きるようなものだ。細い自責が続いていって、あの日の事件で崩された未来とかそんな番組になったら見ていられないんだ。幸せなフリをして生きていく。苦しいままで生きていく。

さっさと捕まって「オメーは人を殺したから無期懲役だ。」そう言われてしまったほうがよっぽど楽。法規から贖罪の方法を教えてくれるから。

 

もしかしたらもっと開き直って悪者になるのかもしれないけど、おれは人を殺したことがないから実際どうなるか分からない。

自責がただ責め続け潰す行為ならやめたほうがいい。つまり自傷行為の一環としては本当に身を滅ぼしかねないからほどほどにしないとちょっとヤバい。自責から明確な罪の形と、それを清算する方法を見い出せる余裕があるならいい。死なない程度の自傷行為ならいい。

例えばおれは、なんで妹の心の声をもっと聞かなかったんだとかあの日の昼になんで帰らなかったんだと散々自責した。余裕のない、自罰的な行為だったと思う。

ただの悲嘆反応のようにも感じるが、夜などは泣き出すと止まらなかった。

屍を背負って歩き出す覚悟がなかったんだろう。

 

話がズレた。今日は妹の話を書きたい訳じゃない。

人付き合いから発生する自責に至る前に、自衛するのは大変良い手です。一度ケンカした人には仲直りしてもあまり近付かないとか、あ、話すようになったはいいけどちょいこの人やっぱ合わねーやと思った「友達」とは必要以上に接触しないとか。

小学生のときならいざ知らず今現状は仲良くなれるタイミングじゃなかったとか、そもそも根幹にある人間性が合わないとかクソほどある。人間性が合わないのになんとかやっていくなんて面倒くさいことやらないでいい。

まあこういうのをやりすぎな感じで極めていこうとするとたぶん一匹狼の紛い物のぼくみたいになるんですけど。これはこれで孤独に震えることもあるよ。だけどやっぱ人同士のしがらみがない分シンプルでいい。

 

自責する自分に酔わないこと。誰だってより良く生きたいから戦争だってあるんだろう。人間であることを諦めないでいい。辞める必要もない。許されないなら自分ぐらいは自分を許してやろう。相手だって所詮人間だ。

もう一回だけでも、心から笑えるようにやってってくれたらなと思う。

 

 

 

書きながら思ったんですけど、学生時代って色んな人と顔こそ合わせるけどツイッターほど四六時中どうしてるかなんて絡んでなかったよね。授業とかめっちゃあるし。

「あ、こいつつまんねえ」って思われてあんまり誰も話しかけてくれなくなるとか。だけど毎日誰にでも明るく挨拶してるあの子はおれにも平等に挨拶して話しかけてくれるとか。はぐれものたちの仲間にいれてもらってそこでもすみっこにいるとか。ああいう緩さがいいな。

楽しければ一緒にいて、楽しくなければ去って、落ち着けるなら居て、だらだら追いかけない。コミュニケーションてそんぐらいでいいね。おれはそんぐらいでいいや。

 

割とスマホ依存発症してたんですけど、これまでスマホ触ってた時間にハンドスピナーいじるようになったらなんか大分落ち着いたのでおすすめします。お腹が減ったので、おしまい。