20190319
なめらかに動く。日本語のタイピングだったらまったくキーボードを見ずともいける。考えたことを言葉にして文字として打ち込むのは気持ちがいい。数字は見ないと無理。記号も見ないとミスる。だけどなめらかに動く。
先日「まあまあ速いでしょ?」なんていいながら人差し指だけでカチッ…カチッ…とタイピングをする人を見た。速さの平均値はこれまでの人生で見てきたものになるのだろうか。大昔にタイピングゲームをやりすぎた僕はなんだか残念で笑ってしまった。秒間1.5key以下はヒドイっすよ、なんて思ったりして。
笑ってしまったとはいえ常識というものもそういうもので、これまでの経験に依拠した全ての基準が自分の中にある。でも経験というものがマスメディアやインターネットの影響でぼやけてしまっている気がする。
例えば学校で100メートル走を12秒で走る人がいればすごいって言えればいいのに、9秒じゃないと世界記録には並ばないね、なんて斜に構えているような現実味の薄さ。
冷笑して悟ったフリしてんなよ。さっさと目覚めないといけないね。
常識の呪いに未だに囚われている。無重力にでも行けと言うのか。
何が一番フルスイングでおれの常識や固定観念をぶっ壊してくれるのか、恋焦がれるような気持ちでいます。書いてみて思いましたが、どうにも受け身ですね。とりあえず未来は僕らの手の中って、実感していくべきかもしれない。
最近よくビールを飲んでいる。特に深い意味もないのだけれど、金を稼ぐと使うことができるのだと知ったからだと思う。アホみたいだけど本当にそんな感じです。金の運用を知らないんですよね。
アルコールは一日の中の限られた時間しか摂取できないしニコチンを摂取できればよかったのに。そんなに長生きしたいわけでもないけど肺癌家系だし、病気で弱って死にたいわけでもない。今はまだ頑張って生きてるので。
雑談力の本を買って読んだ。知ってるわバカ!!って案件が非常に多い。前書きの刺さりっぷりはひどかったけれど。
意味がないことこそが雑談であるならば、意味がないことを意味としようとすれば話せるようにはなってきた気はする。馬鹿笑い、雰囲気で笑って、悲しそうな顔もできて。一応そういう中身がないことは得意ではあるんですよね。
でも、Aって情報を受け取って次に話すときにまたAって情報はなんですかと聞いてしまうことが怖いのは相変わらずです。雑談ではこれも覚えてなくていいよってことやと思ってたら突然「ちょっとした雑談を次の時に覚えられていると気持ちがいいです!」みたいな筆者の意見が入ってきて無理だな~って諦めかけたりしてます。
まあ思ったより人間雑だよね。大丈夫大丈夫。おおらかにいこうぜ。
中身がないことしたくないだなんて、何か物事をやりだしてから言えってんだ。
今も大して中身はないのに書きだして、伝えたいこともないまま終わる感じです。
そんな感じのだるい日々です。元気にいきましょう。