※個人の見解です

思考の整理や自分語り

20190301

金曜日だ。嬉しい。灰色の重苦しい空でも天井が高いだけでまあいいかって思える日は不思議な感覚にはまり込む。

春もちらちら遊びに来てますね。昔は冬のいちばん寒い時期に身体が凝縮されていく感じが好きでしたが、最近は年のせいなのか、あるいは冬に外遊びという無謀な行為をしないせいなのか、寒いもんは寒いです。必死に体内の炉を焚けばなんとかなる気がしませんか?昔はその炉で陶製の思い出を量産してたような気がします。全部割れてしまって砂しか残っていないのですが。

 

生活が穏当で、鋭い感性が残っていない。

これを悲しく思うのが純粋芸術を求める人たちで、安心するのが凡庸な病める人たちの差かもしれない。おれは後者だな。

正直なところブログもめちゃくちゃ頑張って考えて打ってみていて、毎日更新できるブロガーってすごいなーとかぼんやり思ってる。

現実で言いたいことを言えないから一時期は毎日更新できていて、ツイッターにも居たが、気付けば「言いたいこと」は「言う必要性もないもの」に変化してた。おれは思い込む力が強いので、「言いたいことを言えない」ではなく「言いたいことは別に言う必要もないことだった」と捻じ曲げてしまったのかもしれない。昨日あたりに世間話が苦手と言ったことに繋がりを感じる。大体の物事は言う必要がないと思ってしまっている。

「言う必要もないこと」を言うのが例えば大して目的もない「愚痴」ってやつだったりして、その「愚痴」を日常会話に挟めれば時間を稼げるのだろうなと思う。「良かったこと語り」も実のところ言う必要なんてないと思う。なのに喋る理由は、共感とかのご褒美が欲しいからで。本当は言う必要と共感される必要があるはずなんだよな。いつ頃このあたりの設定ミスったのかな。

話を合わせるぐらいならできるのに、主体性が伴うと難しいんだ。不思議だね。

 

 

最近kindleの使用にハマっています。割と気軽に漫画を買う。自分で金を稼ぐということはすごい。

漫画は見開きで見るようにデザインされてるからムカつくこともあるけど、物が散らかっていかないのがいい。本だとつい床に置いてしまうけど、kindleは電子機器なのでせめて机の上、水分から離した位置に置くようになる。良い。

漫画以外を読むには興味のあるマイナーな本とかは全くkindle対応してないので個人的には不便。どうせ出版時にも一度データにして印刷するのなら電子書籍にぐらいしろよ!と思っちゃうんですけど、何か難しい点があるんですかね?おれの読みたい本が古めなだけ?

 

 

髪が伸びてきてうざったい。痒いような気がしてきてる。スポーツ刈りぐらいにしてから二か月経つとムカムカして、髪を切ればすべて解決するような錯覚すら起こしてくる。短髪は精神依存性があるので法律で禁止しなければならない。

 

無理やり引き延ばした感がすごいブログでした。

元気に健全にやっています。とりあえずは良い週末をお楽しみください。つまらなくても良かったポイント探してみてね。

曖昧な話

スピード感が上がってる。久しぶりにお酒を飲むとすべての物事はおれについて来れないような万能感に浸ってしまう。その実、言葉が飛ぶから考えてるようで考えてない時間が長くなるだけ。アホらしい。

 

最近、「妹がいた」という事実がとても曖昧になっていて自分で驚く。

新しく知り合う人にきょうだいはいるの?と聞かれたら兄がいますとしか答えないし、「あーその漫画妹が好きだったな」って事柄は昔は口に出していたのに今は全く言わない。言えない。『へぇ、妹いたんだ』『はい、もう死にましたけど』。それだけの会話にストレスを感じてしまうとわかっているから言えない。

さっき何の気なしに携帯のアドレス帳を見ていたら妹のやつを登録したままになってた。瞬間、誰のやつだか分からなかった。物心ついてからでも10年以上、密な付き合いがあったはずの人間の名前と顔が一致しなくなっていた。

人間はこんなに淡泊なものなのかと感心する一方でおれはこんなにも冷血なのかと一人勝手に傷つく。妹のためじゃない、おれはおれの非情さに勝手に傷ついている。マッチポンプってこういうことを言うのだろうな。人は喪失を許容できる生き物ったって忘却してしまうのではなんとも味気ない。

 

記事ツイートしてもらったのを見て久しぶりにコメント確認しました。つっても2年前の記事なのでそんなにたくさんの新規コメントがあったわけじゃないんですけどね。

死んだあいつを羨んでくれるのは別にかまいません。首吊りでも死ねるんだってこともまったく否定できません。死んだからね。

だけど存外、特別仲が良かったわけでもない家族の死でも人は傷つきます。衝撃がそのまま残ること、多いみたいですね。

対して、ああこんなにも愛していたのにって言いながらデータ消去を重ねすぎて過去がスカスカになって「何を愛していたんだっけ?」となる人もいます。

個人的な意見で言えば、自殺を仄めかされても止めることなどできません。僕らはバブルの残り香のする頭でっかちな奴らに安定した将来を考えろと言われ続けた人間で、デッドエンドの物語よりも希望に溢れた物語が希望に溢れたまま終わる映画なんかを見てきました。正直、老人になって死すという大多数が辿るはずの未来を想定できていません。そんな感じがするんです。

 

死を決めてる人たち、あるいは死しか道が無いという人たち、あなた方は人の気持ちを優先してしまう優しい方々なので、最期の反抗の手前で所持金の限り失踪でもしてください。体力の限りでもいいです。そこで「明日死ぬんだし」って気持ちでそこら辺歩いてる人とか居酒屋でぼんやりしてる人にベラベラ馬鹿みたいに自分語りをして、「そうかぁ ふーん」って言われてください。

誰も苦しめないようにって自分ばかりが我慢をして苦しんではいませんか。他人のためにそんな我慢せんたっていいんだって気付いて、そっからしっかりと死ぬ気持ちになってください。

 

みんなのためって堪えてたら自分のためにすらなってないことありませんか。あれは避けたい。とても避けたい。

自分だけが得して高笑いする盗賊みたいになってもいいんだよ。ダメなことだったら正義の味方がきっと殺してくれるんだからね。かわいい程度だったらアンパンチでぶっ飛ばされてもまた何事もなかったみたいに戻ってこれるから、ね。

もっと悪者になっていいんだ。利己的でいていいんだ。怖がらないでいい、死者のデータ消去しすぎてスカスカなおれが先陣だ。バカヤロウ。

 

丁度いい文字数で。そんではまた。

20181220

取り留めもない話。

特に叫びたいわけでもないけどしばらく時間を潰さなければいけないので来た。

防水機能がダメになったタフネススマホを持ってる中で土砂降りを浴びる度胸はない。絶対なるとは思ってたけど充電口のカバーがダメになって無限に開きます。このやろう。

 

 

きっとどこの町に居たって居心地なんて変わらなくて、おれはおれのまま潰れていくんだろうなと思う。落ち込みもしないほどのただぼんやりとした諦め。

場所そのものが自分のステータスなんかになるわけはなく、ただそこは現在地点というだけだ。いずれ通り過ぎる場所だし、いつ通ったかもいずれ忘れてしまうんだろう。

人生ゲームで何マス目に止まるかは問題じゃなくて、そこでどんなことを起こしたかでプレイヤーのステータスは更新されていく。8回目にサイコロを振った時に5が出てれば勝てたんだ!と言いだす人は少ないと思う。色々なマスを通って情報は更新されていって忘れてしまうんだ。

 

何度どうやってどこへ行っても落ち着かなくて安心できないなら、居心地の悪さが基礎ステータスに組み込まれてるのだと思う。

根無し草。友達とどうやってどれぐらい距離を詰めていいか分からなかったころから何も変わっちゃいない。

中学校からの友達に会っても「全然変わってないね!」と言われる。

気持ちに向き合おうとするとずっと蓋をしている何処かの何者かが「全然変わってないね!」と叫んでくる。

わかるわーって答えるだけ答えて笑って、別れて結局また一人遊びに戻ってしまう。

何をすればいいんだろう。どうすれば正解なんだろう。

正解があって、それに従うことができれば楽だけど、人生そうはいかない。

まずはそこに居てもいいんだって気付くことが必要な気がする。堂々としてていいんだって思いたい気持ちがある。

 

何もかも半端者だから、斜に構えて生きてきたから、どこにも居るつもりがないから、どこにも属せないまま静かに潰れていくんだろうなと思う。

 

何故か最近口をついて出る言葉が漫画やアニメのセリフになってきてる。自分の言葉すら失くすのかと思うとなんだか笑うしかできない。まあ、これは一緒に喋って影響し合う友達とかが居ないからなんだろうけど。

 

「聞かれれば言うけど聞かれなければ言わない」っていう知り合いになりかけの頃の距離感が苦手。先に自分の情報をすべて開示したくなるけど、向こうはさしてこちらの情報に興味もなかったりする。あれはすごく居心地が悪い。

もっと遠慮なく人と仲良くなりたい。そんでここに居ても大丈夫って思いたい。

おれの後輩気質みたいなやつはいつまでなら許されるのだろう。年齢的には堂々とできるといいんだろうけど。

そういえば部活の後輩が出来たときはなんだか嫌なゾワゾワ感があったなあ。どうすればいいんだろう。

 

そんなこんなしてたらやっとちょっと晴れてきました。またすぐ降るのかな。

降らない内に行ってきます。またね。

20181203

なんでしょう、少し感傷的で、ここにいてはいけないような気がする。

ってことを書くのも地元で無職をしながらだから、ここにいてはいけないはずがない。精々この辺りに骨を埋めるしかないのだろうなと常々凍えそうな諦めを感じている。

いつも1000文字程度は埋めようかなと書いているけど単一の話題が思いつかなかったので、短文をいくらか書いた。眠いね。なんでこんなことしてんだろうね。そんな日もあるね。

 

気付けば秋を越えて冬になってしまった。タイヤ交換はお早めにとどの電光掲示板も急かしていて、主要道路に面した家々に住む人たちはその文言を見ました確認しましたと供述するみたいに諾々とタイヤ交換をしていた。タイヤ交換をしなければ死ぬし殺してしまうような土地なので当然なのだけれど、疑問もなく電光掲示板に従う人々に疑問を持ってしまう。

おれは寒くて一度風邪をひいた。やっぱり電光掲示板に従いたくなくても冬だ。もう治った。皆さん、冬ですよ。あったかくしてね。

 

勢いで購入していた9%のチューハイを飲んだ。購入してからたっぷり2週間を置いて飲んだ。置いたって別に何かが変わるわけもなく、「やっぱ強いチューハイだ」なんて身体を震わせながら飲む。健康な気持ちでいるときはあまり飲めないです。

さて、果たしてこんなアルコールに添加されたクエン酸やビタミンCが健康に影響するのだろうか。一瞬で排出されてしまいそうな気がする。健康アピールお疲れ様です。キレートレモンさんでした。

 

星を見た。オリオン座が7時頃に見えると嬉しいような悲しいような、「郷愁」に近い気持ちを感じる。

ずっとこれを見てきたし、見ていくのだと、懐かしいようなもう会いたくないような複雑な思いになる。暗いところが多い町だったけれど開発が進んでいて、徐々に明るくなっている。それも相まって、星空ともう会えないかもしれないと怯えてしまう。地球では今何等星ぐらいまで見えるんでしょうか。

 

自傷行為の跡があるので絆創膏を愛用してるのに、売ってた店から消えていた。余裕の面でAmazonを見たけどそこからも消えていた。商品撤退か。悲しい。焦った。指にも巻けない厚さの布タイプの感触が、バカみたいに盛り上がったケロイドまで隠せてよかったのだけれど。

新しく買ってみた別のメーカーの布絆創膏は、少し薄い。これでも十分だけれどちょっとだけ不安。

自傷行為を始めてしまったのは小学生の時、やらなくなったのは大学生の時。絆創膏で隠し始めたのは高校生の頃だったか。同級生に「それどうしたの?」と聞かれてしまったのに誤魔化すだけの頭がなかったことは覚えてる。ただ笑って逃げた。でも君の優しさは覚えてるよ、あの時はありがとうね。

 

もっと気軽に人を愛していたい。性的な意味合いではなく精神的な意味で。

好意を伝えるのは簡単なはずだ。言葉に出せばいいだけだから。なのに出来ないのは、「人間を愛する」ということが崇高で特別な感じがしているせいだと思う。

生きてたら誰かに「ありがとう」と思う。それが友達でもコンビニの店員さんでも思う。袋要りません、ありがとうございます、みたいな愛でいたい。単純な気分でいい。そんなのだって愛でいいんでしょう。

 

ばらばら思いついたこと書いただけですが、こんな感じで。やっと眠くなってきました。おやすみなさい。

20181119

迷うということはしばしば頭の容量を使いすぎて気持ちが悪くなってしまう。

そういう時はスッパリと辞めてしまうかスッパリと決めてしまうかしたほうがいい。

だけど、おれの場合はこれもやめようあれもやめようと思うと現実感がべりべりと音を立てて剥がれていってしまうから決めてしまったほうがいい。離人が近付く、というのも何か変な字面だけれど。

 

買い物をしてるときによく陥る。

「あぁこれはどうかな、こっちもいいな」

「これは高いなあ、こっちの品は微妙だけど安くていいな」

こうやって迷っているとクラクラしてきてしまう。迷うのに向いてない。

一番気に入ったのを買えばいいんだけど、いまひとつ自分の決定や直感に自信がないのだと思う。なかなか選べない日もある。

 

だからスーパーはあまり好きじゃない。目的を持って何か買わなきゃいけない気がするのと、似たような品が色んな価格と産地で売ってるので気持ちが乱されて結局何も買えない時もある。一人暮らしをまたするならばメニューを曜日で決めるぐらいして楽に買い物をしたい。迷わずに買い物をしたい。

 

必要なものが壊れそうなので、新しいものを検索した。

死ぬほどいろいろなものがヒットする。色、形、サイズ、容量、値段、いろいろな要素が絡み合っていて目的も無く入った山で迷ってしまったような不安感を覚える。

これ?いや、そっちか?でもこの色しかないな、高いしな。やめよ。やめよう。やめよう。

ブレーキをかけてみたけれど少し遅かったようでまったく止まらない。自堕落に自傷的に滑り続ける。

ネットショッピングでだらだら滑って面倒になったらとりあえず声をあげる。多分戦闘員が叫びながら相手に攻撃を仕掛けていくようなイメージ。一歩が出ないから己を鼓舞してがんばる。その勢いでいくつかのタブで開いていた品から「あーこれいいね!これでいいね!カンペキ!」とか喋りながらカートにいれて購入手続きに進む。その間ずっと一人で喋ってる。

 

ちょっと疲れました。

基本的に一度あるものを使うともうあと一生同じ品で生きたいタイプなので、新しいものを選ばざるを得ないのはなんか体力を使ってしまう。これまでのがちょっと性能が足りてなかったので別のものにした。思ったよりも疲れた。

選択肢が多いことは幸福を選び取る可能性を増やせるけど、それで体力を使ってるのでは世話無いな。もう少し自分の決定とか、直感とか、そういうものに自信を持ちたい。

内なるものはいいのだけれど、身に着けるものや日ごろ持ち運ぶものとかで何かを決め付けられそうで怖いと少し思ってる気がする。何が怖いんだろう?

 

伝えたいことも腹立たしかったこともない、ただそれだけの話です。

今日は1on1チャットでとても昔に自殺未遂をした理由を話したら涙が出てしまって意外と引きずってたのかなってびっくりしました。

自分の過去の後ろ暗いことに興味を持たない程度に、元気にしてますよ。おわり。

20180911

高卒で就職した友達はバイトをやったことがないから羨ましいと言っていた。

大卒でライブハウスに就職した後輩は楽しくやってるらしい。

家の裏を通る農耕者の持ち主をおれは知らない。

憧れの人からメッセージを貰った人がテレビに映ったけどどれだけ嬉しいか分からない。

スーパーに停まってる車がどこに帰っていくのか分からない。

コンビニで特徴的なレジをしていた人はいつの間にか居なくなってた。

中学生の頃の友達は法学部を目指してたはずが漫画家を目指してながら働いている。

大学の同期のうち何人かはまだ大学に居る。

発達障害傾向と二次障害で新卒で入った会社を辞めた同期がいる。

友達は二度就職したのにどちらもブラック企業でさっさと無職になっていた。

 

友達の気持ちを知らない。他人の気持ちなんてもってのほかだ。

「バイトをしたことがないから羨ましい」と言われて茶化してしまったけれどもしかしたらとても強い決意を持って教えてくれたのかもしれない。

友達の決意も緊張も分からない。おれはそいつじゃないからだ。おれはおれの視点に居る。

 

平然と、何事もないかのように地方散策番組に映る一般人。もしかしたら心臓がガンガン鳴ってて緊張で痛いぐらいかもしれない。肖像権ガーとか思って怒っているかもしれない。芸能人と話せてすごく嬉しい気持ちかもしれない。

 

友達、君はどこの高校行ってどんなとこに勤めてるんだっけ?おれには関係ないけど。

後輩、満足してんなら何よりだ。暮らし方も知らないけど。

農耕車の人、跡継ぎはいますか。おれには関係ないですね。

テレビに映った一般人、話す機会は永劫ないと思う。

スーパーの車、何台あるんだ。何個の違う人生があるんだ。

レジの人、呼び捨てで名物扱いされてたの知ってますか。まあどうでもいいよね。

友達、絵描くの好きだったなんて知らなかったよ。ところで結局大学も入ってたっけ?

同期、モラトリアムを引き延ばしてるのかその道を極めたいのかどっちだ。まあ、引き延ばしてたはずがうまく行ってるなんて人よくいるし、いっか。

同期、落ち着ける生き方があるといいね。おれは向こうに行ってみるよ。

友達、無職仲間だ、仕方ないし笑ってこうぜ。

 

人はどうしたって一人だ。それは事実だ。だから自分の形を正しく認識する必要がある。

あなたの「死ななければならない理由」、基本的人権が認められてる国なんだから大丈夫だとおれは思うよ。死にたさより生きていてもいい理由を外注できるといいね。

 

他人の価値観や感情は見えないし分からないから自分の辛さや苦しみ、迷いにばかり焦点が当たる。「幸せそうにしやがって」とか、「悩みがなさそうでいいね」とか。

「幸せそうで悩みがなさそうな人」も辛い日ぐらいある。ただ隠すのが上手いとか、こちらの感受性が低いだけとか。辛さを吐露しようとすると息が詰まってしまうから、笑顔でいたほうが楽な人かもしれない。

 

視点を増やすには自分の存在を確認する必要がある。卑屈になりすぎて肥大化してやいないか?おれら案外小さいし別にいてもいなくても大して意味もない。

だったらなんか好きなことかましてやりたいなっておれは思うのです。

今日はラーメン食べたいな。おしまい。

20180816

「最後だと知っていたならば」。

何をするでしょう。何と言うでしょう。

 

最後だと知らなかったからこその今を、どう生きればいいんだろう。

 

悲しい空しいというよりも違和感がすごくて何か書き始めようと思ったのですが、まだ違和感が明瞭ではないようでキーボードが進みません。手が重い。いつもブログを書くときの手はよく動いて、頭で考えるより先に手が動くんだけど、今日はなんかダメみたいです。

 

この間、制限時間付きでタイムスリップできるって映画の広告を見た気がするけど、あの時も感じた。確実な違和感。前腕がゾワゾワした。

 

時間はいつも有限なのに、少しも変わらないような気がする日常に飽いている。連続、連続、連続で途切れることのない日々に嘆いてる。

そしてある日ある時何かに強く、二度と消化できない後悔を持つ。「最後だと知っていたならば」。ああ、何をしたんだろうね。

 

喜怒哀楽も苦しみも有限だ。それだけは忘れちゃいけない。

生まれたものはいずれ薄れていって消えてしまう。消えてしまうけれど、それに涙する義務はない。

 

後悔という気持ちをあまり重大に思っていない。迷路をなぞって遊ぶ時に「8番目の角で右じゃなくて左に曲がればもっと早くクリアできたのに!」とかあまり思ったことがない。一々スタートに戻ってやり直したらいい。もしくはどん詰まりからのスタートでいい。道は戻れ。どうしたってクリアのない迷路だったら、仕方ないし砂消しでも買ってコッソリ印刷を消して道を作ろう。

過去をなぞって後悔に浸ることは、迷路をなぞらずにただスタートからゴールを直線で何度も結ぶみたいだ。数え切れないほどの取捨選択の末に今があるんだ、そんなにぶっ飛ばそうとしないでいい。何より風情がない。あなたの人生はその後悔だけじゃなかったはずだ。

 

「最後だとわかっていたらこうしたのに」という本を読んだらおれはどう思うんだろう。タイトルが信条にまったく合わないので、手に取りもしなかった。ていうか本当にそういう内容の本なのかすらわかってない。著者の方、読みもしてないのにすみません。おれは若干流されやすいので、感化されるのが怖いのです。

 

後悔もおれの選択の一部で、それは長い迷路のほんのひと時の選択でしかない。まだゴールは遠いかもしれないし、すぐ近くかもしれない。紙が燃えちゃってもう振り返ることさえできないかもしれない。

足跡は確かにあれど、大切なのは現在地点だ。

その現在地点のために、「最後だとわかっていなかった日」の埋め合わせをするなら応援したい。でも、あんまり悲しいままでいると、悲しいのクセになっちゃいますよ。

 

あの夏とはもう決別してまあまあ経ってる。

死別を経験してから何か変わったことはあったかと聞かれて、記憶力は悪くなったと答えた。上記までのような「過去にこだわらない」という思考が生来のものなのか習得してきたものなのか、死別のショックで起きたものなのかは実はよく分からない。記憶なんて曖昧に薄れてく。おれはその事実を受け容れる。それだけでいいんだ。

おれは時間も多少経過している上に、家族の死を克服するにあたり都合のいい思考だったと思う。でもこれが全てじゃないんだよな。

 

色んなものに救われる人がいる中の、一つの意見です。色んなものを愛していこうな。

とりあえず友達にスタンプでも送ってみて、なんだよって言われて、なんでもないけど元気してる?って、ちょっと笑ってみよう。片方死んだらそんなくだんねーこともできないんだし。

 

だらだら長引きました。手は結局ノってきませんでした。悲しい。せっかく書いたので公開はします。

おわり。