散らかってる話
梅が咲いてる。今にその街から出ている。天気がいい。
桜前線ならぬ梅前線で死にたさや精神不安定が発生するなら季節に合わせてずっと北上していったら人の精神は安定するのだろうか。
梅の前線に合わせて曇天の重力井戸の底へ帰る。流石にもう過ぎ去ってるのだろうか。
春の始まって起きていく気配はなんとなく落ち着かない。暖かさが落ち着かない。秋の終わって眠っていく感じのほうが好きだ。冷たい空気で身体が凝縮される。
人を思いやって止めたつもりのことを後悔したくないから止めたのを止める。エゴでしか主観的な人生は進まない。
一台のバスに詰まった人生の密度を知らない。傷つけてしまうかもしれない。不快に思わせるかもしれない。
これまで何冊の小説を読んだことがあるだろう。一人称視点の本はそのキャラクターの人生の主観だ。だのにキャラクターの半生も知らないことに気付いた時は驚いた。
人に声を掛けるのはまだ少し緊張する。だけどおれがその人を知らないように、その人もおれを知らないというのは安心できる。
意外と誰だってどうでもいいのだ。旅の恥は書き捨てだ。
実の所自分だって自分をよく知らない。生まれて思って考えて、その履歴はノートぐらいにしかない。
貫徹することに怯えなくていい。人は変わる、社会は変わる、世界は変わる。毎日変わる。
ベストな選択をしたって逆転されることもあるし、その場しのぎの一手が好転の種になることもある。
手を繰り出せるだけでもすごいし、一回休みしたっていい。そのままでいい。死んで正解に着きたいなら即神仏になろう。なんかわからんけど修行しよう。
帰ったら死のうと毎日思っていた頃、ふとバスで見えた水平線に鳥肌が立ったことがある。
海はあまり好かない。あの奥に意味のわからないほどの生き物がいる。深いし。息はできないし、暗いし、怖いし。
住宅地と山ばかりでぎとぎとした視界が海と空だけになった時は死ぬのかと思った。
あのとき晴れていて、海が青くて、海が好きじゃなくてよかった。
せっかく記事を載せていただいたのに全然関係ないことを書いてしまった。
載せてくださったメンヘラ.jpさん、読んでくださった方々、ありがとうございます。
実はどんな駄文か怖くて確認できてない。だけど大丈夫、きっとそんなに気にされてないのさ。
そういう軽快さで時速100kmぐらいで進んでる。たぶん。こういうときにさっと寝れる人が羨ましい。おやすみ。