サクラの話
この間所用があり、地元からは離れた土地で友人の家を転々としていたのですが向こうではもう桜は散りだしていました。地元の桜はどうなってるか外に出て行く元気がありません。ハジです。
今日は朝7時台にちゃんと一度起きたのですが身体の力という力が入らず起きれませんでした。眠れないのに11時まで身体を動かすことも困難。ここ数日張ってた気が抜けたのかもしれません。そういえば夜も9時ぐらいから寝ようとしていたのに11時は確認してしまった。したくなかった。
起きて何をしだしたかというとアルバイト探し。遠方の地は金を使う。金は使うとなくなる。そのまんまだ。当然の驚き。
ジモティにアルバイトという欄があることに先日驚いたことがあったので、地元県全域でアルバイト欄を見ると時給3000円の文字。
なんだ、水商売も載せるのか。すごいなと思いながら開くと思った感じにゴテゴテしていない。バイト情報誌の後ろのほうに載ってる無駄にきらびやかなヤツを想像したのだけど逆に随分シンプルだ。
よく読むと「お客様の知人として結婚式等に出席するお仕事」だった。
愚痴を聞く仕事や「レンタルフレンド」になる仕事もあった。それは確かにあのゴテゴテ感にはならないわな。
完全なるサクラでどこかの国に葬式で泣く「泣き女」って仕事があった気がするなとか考えたけど、これが意外と重宝されているらしい。
例えで頂いたリプライが「ネットで知り合った恋人同士の共通の友人代表になること」とか。
ネットの世界は匿名であることが多い。小さな情報を辿っていけば匿名性は容易く崩せるが、例えば誰も俺が通った中学校など知らないだろう。共有している記憶が圧倒的に少ない。これがネットの強みであり、弱みだ。
僕は匿名性が好き。ああでも顔も知らない相手と会うのかって呆れられるのも分からんではない。どこでの繋がり?何歳の人?何の仕事してる人?どういう人?怪しい人じゃないの?大丈夫なの?分かるよ、不安だよな、分かる。路地裏に連れて行かれて殺されたらどうしようもないもんな、分かるよ。納得はするよ。共感はしないけど。
匿名投稿特有の情報量の少なさ(これまで何をしてきた人かとか人柄だとか)がいいものか悪いものか分からない。結婚とかいう大きなイベントで世間体から嘘を吐く良さも分からない。
匿名の気持ちよさを履き違えてる。そんな感覚居留守程度で十分だ。
あいつは止めておけ。旧知の人は言うかもしれない。そういう前情報をお互いに得られないのは良いことなんだろうか。逆にあいつは良いやつだからと笑顔で送り出されることもないこれまでの人生の石の積み重ねはなんだったんだどこに行くんだ?
一から、いいえ、ゼロから始めましょう。
その言葉の甘さが全てを物語っている。過去を持ったまま生きるのは重すぎるんだ。暗いところで生き続けるには暗いところを知りすぎてるんだ。
徳を重ねようと生きていて。その徳は気付けばドロついた自己欺瞞の発酵したやつみたいになって。
積み重ねて膿んでいた悪行は匿名性に洗い流されてきれいさっぱりか?
匿名性が求められてなければSNSは流行らない。よりそいホットラインは毎日繋がる。心療内科も精神科もカウンセリングだって予約なしで行けるかもしれない。
ネットの海に浸って皮もふやけて曖昧な身体になって俺は何になれる。話しているその相手は何者で誰だ。
需要と供給が合致したからこういうサービスが生まれた。需要を出したのはどこのどいつで何者だ。誰だ誰だ。俺何になれる。誰だろう。
この人と話すのは楽しい、誰だろう。俺が何だろう。何が俺だろう。
記名制であれ。