期待の話
誰も彼も、他者に対しては生きてくれと言う。己は死にたいとほざくのに不思議な話だと思うこともあったが、まあなんら不思議なことでもなかった。
みんな、自分が遂げられなかった平穏を誰かに遂げて欲しいだけだ。
先に立場を明確にしておくと、おれは誰にも不遇な境遇(これは家庭などの状況だけではなく、精神状態も含める)での自死など遂げて欲しくない。
それ、勇気出して死んだんだと思うかな。事故ですらないよ。状況と病状に選ばされた死を、君はなんて呼ぶの。
まあ分かんない。続けよう。
おれは誰かが少しずつ、だけど明確に用意した自死を止めることが出来ない。
確実に積み上げた意志。それは自暴自棄に投げた石がたまたま群集になったわけじゃない。賽の河原で小石を積むような、地道な集中力の末に高く固まってしまった意志。
おれはこれを止めることが出来ない。とうとう積みあがってしまったかと状況を受け止めてしまう。
誰かに死なないで欲しいと思うとき、僕は僕自身の日常に飢えていると思う。
何故あいつが死ななきゃならないのか、死ぬほどの理由があるのか、あいつとは一線以上を画した他人である自分が理解できるはずもない。
だからこそ僕はただ僕の平穏を求めて、誰かに死なないで欲しいと考えてしまう。実際そういうストレートな語にするかは別だ、誰かの重荷や後悔のタネになりたいわけじゃない。僕がAをしたいと思うことと、そのAに付随する状況を考えられないかは別だ。
別なんだけど。
親は子に対し「自分が達成できなかったこと」を求めて期待しすぎる、背負わせすぎることがあるという。たとえば音楽のコンクールですごく上位に行くだとか、スポーツの大会ですごく上位に行くだとか。自分が達成できた「政治家になる」だとか「医者になる」だとかも子どもに望むかもしれない。
子どもはそれを望んで始めたつもりはないが、気付けば初めていたことになる。生まれたときからレールの上だ。いずれ後続車から轢かれそうだな。
なんだかね、みんな死にたいじゃん。なのに仲の良いフォロワーが死のうとすると止めようというアクションはしちゃうじゃん。それがおれには少し難しかった。
いや常に誰か死ぬ覚悟でTL見るなんてそれなんて紛争地帯だよって気もそりゃするけどさ。なんか毎回、悲しい諦めの眼で居ることばかりだった。死ぬって言ってて、あぁ、そうかあって。自分に何か変えられるとも思ってないんだよな。
これは僕が他者に「自分が遂げられなかった平穏を誰かに遂げて欲しい」って思いがないってことだと思う。全てはレールの上で、いずれ強化版の自分みたいな存在から轢かれて人生から外れてしまうんだ。そういう諦めがある。
何が言いたかったのかって、みんなはより良いものを求めてるんだよ。あんたに自分よりマシな素敵な生活をって求めてるんだ。
誰かと誰かでそういう相互の期待のかけあいでうまいことをうまいことをってぴょんぴょん跳ねていけば、なんか全体的にちょっとは良い感じにならないかなーって思うんだよ。
どうしてみんなあんたに生きてって言ってくれるかなんて、みんなも生きていたかったからだよ。生きていたいからだよ。自分が生きていたかったからだよ。
自殺は何人の心をめった刺しにするんだろうな。
酔いと眠気のせいでちょっと話の接続がよく分からないことになってそう。かなりの疲れがあります。攻撃的だったらすみません。おやすみなさい。