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※個人の見解です

思考の整理や自分語り

20170505

谷川俊太郎の本で、詩を書くときの一人称にも意味があるみたいなこと書いてあった気がするんですよね。

ひらがなカタカナ漢字の様子を書いていたやつもあったし。

そういう訳で「ぼく、僕、おれ、俺、わたし、私」を使い分けてる。カタカナの一人称は賑やか過ぎて使いづらい。キャラ濃すぎ。

話し言葉の際の一人称が「おれ」なのは「俺」って使って許されるほど男らしくないという(個人的には悲しい)無所属感から生まれたやつなんですよ。知ってました?知ってるわけねえ。

昔は本のキャラに影響されて「オレ」でしたね。痛い。使ってる人の少なさ(=所属している場所が少ない)から言えばダントツだと思うのでオレでいけばよかったです。よう、ばーちゃん、オレオレ!オレだけど!

 

今日はテンション上げすぎて疲れたんですが、母にそうこぼしてしまったら昼まで寝てたお前が疲れてるわけがないと(おどけた風に)言われて顔を見れなかったです。

いい加減反復性鬱って言うべきか?今って反復してる時か?言ったところで何があるか?ていうか日常生活できてるならそもそもこれただの怠惰じゃないか大丈夫か?実家はネガティブな方向に拡大して頭使うからダメ。少なくともおれの実家は。リゾートバイトにでも出ようかな。家から出たいんだよ。人間性が合わない。友達として考えてみればすごく良いが、家族としては凶悪すぎる。開放的であっけらかんとして情報を求め続けてくる性格と閉鎖的で秘密主義な性格は長時間を共にするには相性が悪そう。

いや、いい人なんだけどね、すごい親だけどね。相性の問題ですよただ。いい人なんですよ。僕がもっと情報を開示すればいいのかもしれませんがガキみたいにコントロールされるのは不愉快だし生活が回ってるうちは別に言わないでいい気もする。

あと発言して理解されるあの感触はやばい、ヌルい麻薬だ。追求されるBADも多い。重力井戸の底に落ちるな。

 

 

死にたい死のうと言っている人が居ると何か言わなければならないと思うが、なかなか手も口も動かない。多面的な情報を考えすぎてフリーズしてる。

自分の思いを言うことすらままならない。ただ妹への後悔を垂れ流すなんて死にたい人にはわけわからん。もしかしたら既に死んだ妹のことが羨ましく思われるのかもしれない。しかし死体の感触が思い出されて居た堪れない空気が喉に戻ってきてしんどい。

おれも死にたい死ぬ首を掻っ切る吊るなど衝動的に「自分が死ぬシーン」を再生し続けることもある。最近はすごくよくある。たぶんそのときに何を言われても無駄だ。

その人の性格家族環境所属個人史、自分の妹のときの記憶、自分が死にたい思い全部放出されるとフリーズするが、誰かに一言でも助けを求められたら違ったんじゃないだろうかという妹への償いみたいな後悔みたいな思いもあって無理矢理作って送った。それが人を傷つけてたりしたらすごく悲しい。どうするのが正しいんだろうな。

つらい話への対応の正解は大体出せない。どうか生き残ってくれないかってその気持ちだけでいっぱいいっぱい。

生き残った先に答えがあるかは知らないけど、おれだって答えは欲しいけど、とにかくつらいときに死んだらつらいままだっていう抽象的な感覚だけ頭に絡み付いてる。脳に網が絡みついているのを感じる。具体的に言うと小脳の上あたりに。なんだこれ。

 

とりあえず生き残ってくれてありがとうということは送りたい。夜だし明日送ろう。

 

 

一人称の話から始めて今書いた詩を打ち込んで終わろうと思ったのにぐだぐだ続いた。気持ちのキャパシティがオーバーしてたようだ。秘密主義が聞いて呆れるな。

夜です。昨日と今日テンション上げさせてくれた520kmマラソンの人たちももうゴールしたのできっとぐっすりです。お疲れさまです。面白かったですよ。

おれも来年の回見れるように生き残りたい。生き残ろうな。自殺は最悪の攻撃か幸福な自己帰結であれって思うんだよ。日常の延長線上じゃなければいいなって思うんだ。なんだろうな。頼むよ。難しいよな。戦場を生きてるんだもんな。

夜です夜です。おやすみなさい。