目的の話
確たる目的がないとなかなか人に気軽なメッセージを送れない。送ろうと思わないわけではなく、送ろうかな、いやでもこれ貰ってどう返信されるろっか?困るね?こんなん言うても意味ないね?と考えてしまって送信まで至れない。
いつも自分が打つコメントは的外れな感じもする。話の流れに乗り切れてない不安を覚える。
その邪推の末にふとした発言をできないことが多い。
なんでもないのにメールを寄越して来てたのはいわゆる過去の恋人だけだった。
なんか頻繁にメール来るから、何の疑問もなく返してた。(そこに「あなたのことを知りたい、もっと関わっていたい」という欲があったことに気付いたのはかなり後の話だが。)
この「日常に関与したいという下心」に気付いてから、どうでもいい話を送ろうと思い立って止める、ということが増えたように思う。
気付いていないうちは幸せだ。話したい時は話して話せない時は離れる。
ただそれだけ。いつだって一人の人と何分も話しているのはうまくない。黙っていると、「誰が話しだすのか」という空気を感じる。それで話し出すと知見の浅さが露見する。それを恥じてまた黙る。酷いサイクル。
俺は人の日常に関与できない。興味がイマイチ無いから。
生来持っている無関心さが時折虚しいけれどどう変えることもできない。関心を持てるように変わって、人様に興味を持って話しまくる姿も想像できない。
特定厨ってやつは誰か人様に興味を持てる人だと思う。良い行動とは言い切りがたいけど、その好奇心すげーなー!って思う。
人の発言を逐一覚えるとか、覚えられないというのは記憶の容量もあるかもしれないけど、俺が一方的に興味のある人の発言ぐらいはおれでも覚えてられる。ということは対人において好奇心を持って進んでいるんだろうと思う。羨ましい。
いつぞ(http://waterchroma.hatenablog.jp/entry/2017/01/21/001041)も言ったが、どうしてか俺はどこまで行っても一人にしかなれない。俺が他者を理解していないことは諦めている。
Win-winの関係なんてなれないと諦めてるから目的が無いふわっとした会話ができない。今景色のいいところに来たからとか写真を送ってみたくなるけどあの子の体調は今どうだろな今こんなふざけたこと送って困られたら申し訳ないなと思い始めると送れない。会話のオチもない。伝えたいこともない。
なので目的のあるメッセージは送れるけど、目的がないとキッカケもない。
もし誰かに突然何か送ったら人と関わってみたいという行動だから許してあげてほしい。返事がだるかったら未読スルーでいいから。目的無くてもまあセーフよと言われたい。そうやって自分を励ましたいだけかもしれないけど。
今日も元気に一人外に出て一人飯を食って帰った。
共有することに意味なぞ感じないのに何故か誰かに言いたくなるのは本当に不可解だ。