※個人の見解です

思考の整理や自分語り

きょうだいは何人いるの?って話

どうも、最近調子が悪いです。おれの調子の悪さは生来か生得か、何にせよ性格の問題なのでもう仕方がないです。「これは癖だから治らないんだ」って本当かな。ハジです。

更新したら読んでくれる方々にどれぐらい自死遺族や、離婚に伴いきょうだいと別れて会っていない人がいるのかわかりませんが、先日、初めましての人に家族構成聞かれても困るよね~ってDMいただきました。話題にしてもいいですか?って許可は頂いています。そういうわけで、そういう話です。

ちなみに6月頃に「明日気分が合えば書きます」と言って下書き半分で止まっていました。覚えてはいたんですけどまとまらなくて。これは調子ではなく怠惰だと思いますので、反省します。

 

大前提として僕の妹は死んでいます。確かに見てしまいました。骨もあの長い箸できちんと拾いましたし、葬儀屋さんは骨の粉までちりとりみたいなものでとって骨壺に入れてくれました。

初めましての方が当たり障りのない会話の種として「きょうだいはいるの?」って聞いてきます。その時皆さんどう応えるのでしょうか?

僕、面倒くさくていつも「兄がいます」とだけ答えます。 そうすると「じゃあ二人きょうだいなんだね~」と言われるので、「そんな感じですね~」と雑な返答をします。そうするとお兄さんは何やってるのとか話が流れるので少し答えて、「そちらのごきょうだいは?」と聞ければ完了です。もうこの話題は終わり。

 

新しく出会った人たちと話している間にきょうだいの話になって、僕は前述のように雑に答えたけど、次に振られた人が「兄貴がいたけど2年前に死にました」と言って、僕は完全に息が詰まった。

グループでの会話だったのでリーダー格の話題を振っていた人が悲し気な顔で聞いた。「なんで死んだか聞いて大丈夫?」「うん、シンプルに首吊り自殺でした。鬱でね」と答えていた。頭から血の気が引く、ああどうしよう、何か言わなきゃ、なんて焦ってる30秒の間に気付けば話題は自殺率や精神病の問題に移り、そこから更にくだらない話に飛び、2年前に自殺したその人の兄貴にはその後触れることはなかった。

正直、憧れた。いることを隠さないけど特段語りもしない会話。なんだかそれがなりたい付き合い方だなと思った。

 

兄だけ居る、と答えることの欠点は、自然に「この新しい人とは深く付き合うことはない」と壁を張っていることだと思う。嘘の整合性を取り続けることができるほどおれは記憶力がよくなくて、いずれ去るからとあぐらをかいている。あるいは事実を言葉にできるほど感情を呑み込めていないのかもしれない。意外と。

妹が居たと言ったところで、話の流れで「ああそれ妹も好きだったお菓子だな」とかを言えない物悲しい気持ちはきっと存在するままなのだと思う。でもこれよく考えると別に「それ兄も好きな漫画なんですよ」とか、割と新しくできた知り合いに普通に言わないよね。ただ話の流れに邪魔だから言わない。そういう選択をしているということはたぶん、おれは単に自分で「妹が居たが、自殺で死んだこと」をタブー視しているのだと思う。

 

そのまま自分が送ったDMを一部転載すると、

「僕らには本当のことを教える義務もありません。意外と他人は他人で重い過去や思い出を持ってることもあります。確かに居て死んだと誰かに主張したいのか、自分の心の内に住んでくれていればいいのか。きっと僕たち次第です。」

とある。おれは心の内に住んでくれていれば妹が居たことを(現実で新しく会う人に)主張する必要はないと思っていたけど、たぶん心の内に強く強く閉じ込めようとしてしまっている。存在の否定。確かにそいつが生まれた時から共に生きてきたはずの人間を、現実世界から否定している。だから息苦しいのかもしれない。

 

たぶんこれは死の受容がどうのこうのとか、他人なんかお前のこと全然気にしてないよとか、そういう話というよりも、「妹が現実にかつて居たことをおれは許せるのか」という話なのだと思います。

「兄がいて、妹もいたんですけどそっちは若いうちに亡くなりました。そちらのごきょうだいは?」

そうやって軽く居たことを許していこうと思います。居たには居たんだからね。心の内に閉じ込めて、禁忌にまですることないよな。

居たことは隠さないでいいけど、語る必要もない。新しく目標になった、亡霊との付き合い方です。

 

 

・・・

居たことは隠さず、語りもせずとしても、傷つくこともある。

先日70代ぐらいの老人と初対面で話す機会があり、父は肺癌で早くに死んだと言ったら「認知症で10年15年と嫌われながら生きるよりも癌とかで半年ぐらいで死にたいからそれ理想の死に方!」と笑いながら言われて、そんなに好きでもなかった父のことなのに衰弱していく様や暑い病室や生活での不安感を思い出して泣きそうになってしまった。そんな日もあるね。

最近柳田邦夫の「わが息子・脳死の11日 犠牲」を読み、細かな病室感覚の描写に完全に揺れてしまったせいだと思う。何度もお見舞いに行った末に亡くなった人がいる人は読まない方がいい気がする。キツかった。しんどくなりたい人は読んだらいいと思います。