※個人の見解です

思考の整理や自分語り

20181203

なんでしょう、少し感傷的で、ここにいてはいけないような気がする。

ってことを書くのも地元で無職をしながらだから、ここにいてはいけないはずがない。精々この辺りに骨を埋めるしかないのだろうなと常々凍えそうな諦めを感じている。

いつも1000文字程度は埋めようかなと書いているけど単一の話題が思いつかなかったので、短文をいくらか書いた。眠いね。なんでこんなことしてんだろうね。そんな日もあるね。

 

気付けば秋を越えて冬になってしまった。タイヤ交換はお早めにとどの電光掲示板も急かしていて、主要道路に面した家々に住む人たちはその文言を見ました確認しましたと供述するみたいに諾々とタイヤ交換をしていた。タイヤ交換をしなければ死ぬし殺してしまうような土地なので当然なのだけれど、疑問もなく電光掲示板に従う人々に疑問を持ってしまう。

おれは寒くて一度風邪をひいた。やっぱり電光掲示板に従いたくなくても冬だ。もう治った。皆さん、冬ですよ。あったかくしてね。

 

勢いで購入していた9%のチューハイを飲んだ。購入してからたっぷり2週間を置いて飲んだ。置いたって別に何かが変わるわけもなく、「やっぱ強いチューハイだ」なんて身体を震わせながら飲む。健康な気持ちでいるときはあまり飲めないです。

さて、果たしてこんなアルコールに添加されたクエン酸やビタミンCが健康に影響するのだろうか。一瞬で排出されてしまいそうな気がする。健康アピールお疲れ様です。キレートレモンさんでした。

 

星を見た。オリオン座が7時頃に見えると嬉しいような悲しいような、「郷愁」に近い気持ちを感じる。

ずっとこれを見てきたし、見ていくのだと、懐かしいようなもう会いたくないような複雑な思いになる。暗いところが多い町だったけれど開発が進んでいて、徐々に明るくなっている。それも相まって、星空ともう会えないかもしれないと怯えてしまう。地球では今何等星ぐらいまで見えるんでしょうか。

 

自傷行為の跡があるので絆創膏を愛用してるのに、売ってた店から消えていた。余裕の面でAmazonを見たけどそこからも消えていた。商品撤退か。悲しい。焦った。指にも巻けない厚さの布タイプの感触が、バカみたいに盛り上がったケロイドまで隠せてよかったのだけれど。

新しく買ってみた別のメーカーの布絆創膏は、少し薄い。これでも十分だけれどちょっとだけ不安。

自傷行為を始めてしまったのは小学生の時、やらなくなったのは大学生の時。絆創膏で隠し始めたのは高校生の頃だったか。同級生に「それどうしたの?」と聞かれてしまったのに誤魔化すだけの頭がなかったことは覚えてる。ただ笑って逃げた。でも君の優しさは覚えてるよ、あの時はありがとうね。

 

もっと気軽に人を愛していたい。性的な意味合いではなく精神的な意味で。

好意を伝えるのは簡単なはずだ。言葉に出せばいいだけだから。なのに出来ないのは、「人間を愛する」ということが崇高で特別な感じがしているせいだと思う。

生きてたら誰かに「ありがとう」と思う。それが友達でもコンビニの店員さんでも思う。袋要りません、ありがとうございます、みたいな愛でいたい。単純な気分でいい。そんなのだって愛でいいんでしょう。

 

ばらばら思いついたこと書いただけですが、こんな感じで。やっと眠くなってきました。おやすみなさい。

20181119

迷うということはしばしば頭の容量を使いすぎて気持ちが悪くなってしまう。

そういう時はスッパリと辞めてしまうかスッパリと決めてしまうかしたほうがいい。

だけど、おれの場合はこれもやめようあれもやめようと思うと現実感がべりべりと音を立てて剥がれていってしまうから決めてしまったほうがいい。離人が近付く、というのも何か変な字面だけれど。

 

買い物をしてるときによく陥る。

「あぁこれはどうかな、こっちもいいな」

「これは高いなあ、こっちの品は微妙だけど安くていいな」

こうやって迷っているとクラクラしてきてしまう。迷うのに向いてない。

一番気に入ったのを買えばいいんだけど、いまひとつ自分の決定や直感に自信がないのだと思う。なかなか選べない日もある。

 

だからスーパーはあまり好きじゃない。目的を持って何か買わなきゃいけない気がするのと、似たような品が色んな価格と産地で売ってるので気持ちが乱されて結局何も買えない時もある。一人暮らしをまたするならばメニューを曜日で決めるぐらいして楽に買い物をしたい。迷わずに買い物をしたい。

 

必要なものが壊れそうなので、新しいものを検索した。

死ぬほどいろいろなものがヒットする。色、形、サイズ、容量、値段、いろいろな要素が絡み合っていて目的も無く入った山で迷ってしまったような不安感を覚える。

これ?いや、そっちか?でもこの色しかないな、高いしな。やめよ。やめよう。やめよう。

ブレーキをかけてみたけれど少し遅かったようでまったく止まらない。自堕落に自傷的に滑り続ける。

ネットショッピングでだらだら滑って面倒になったらとりあえず声をあげる。多分戦闘員が叫びながら相手に攻撃を仕掛けていくようなイメージ。一歩が出ないから己を鼓舞してがんばる。その勢いでいくつかのタブで開いていた品から「あーこれいいね!これでいいね!カンペキ!」とか喋りながらカートにいれて購入手続きに進む。その間ずっと一人で喋ってる。

 

ちょっと疲れました。

基本的に一度あるものを使うともうあと一生同じ品で生きたいタイプなので、新しいものを選ばざるを得ないのはなんか体力を使ってしまう。これまでのがちょっと性能が足りてなかったので別のものにした。思ったよりも疲れた。

選択肢が多いことは幸福を選び取る可能性を増やせるけど、それで体力を使ってるのでは世話無いな。もう少し自分の決定とか、直感とか、そういうものに自信を持ちたい。

内なるものはいいのだけれど、身に着けるものや日ごろ持ち運ぶものとかで何かを決め付けられそうで怖いと少し思ってる気がする。何が怖いんだろう?

 

伝えたいことも腹立たしかったこともない、ただそれだけの話です。

今日は1on1チャットでとても昔に自殺未遂をした理由を話したら涙が出てしまって意外と引きずってたのかなってびっくりしました。

自分の過去の後ろ暗いことに興味を持たない程度に、元気にしてますよ。おわり。

20180911

高卒で就職した友達はバイトをやったことがないから羨ましいと言っていた。

大卒でライブハウスに就職した後輩は楽しくやってるらしい。

家の裏を通る農耕者の持ち主をおれは知らない。

憧れの人からメッセージを貰った人がテレビに映ったけどどれだけ嬉しいか分からない。

スーパーに停まってる車がどこに帰っていくのか分からない。

コンビニで特徴的なレジをしていた人はいつの間にか居なくなってた。

中学生の頃の友達は法学部を目指してたはずが漫画家を目指してながら働いている。

大学の同期のうち何人かはまだ大学に居る。

発達障害傾向と二次障害で新卒で入った会社を辞めた同期がいる。

友達は二度就職したのにどちらもブラック企業でさっさと無職になっていた。

 

友達の気持ちを知らない。他人の気持ちなんてもってのほかだ。

「バイトをしたことがないから羨ましい」と言われて茶化してしまったけれどもしかしたらとても強い決意を持って教えてくれたのかもしれない。

友達の決意も緊張も分からない。おれはそいつじゃないからだ。おれはおれの視点に居る。

 

平然と、何事もないかのように地方散策番組に映る一般人。もしかしたら心臓がガンガン鳴ってて緊張で痛いぐらいかもしれない。肖像権ガーとか思って怒っているかもしれない。芸能人と話せてすごく嬉しい気持ちかもしれない。

 

友達、君はどこの高校行ってどんなとこに勤めてるんだっけ?おれには関係ないけど。

後輩、満足してんなら何よりだ。暮らし方も知らないけど。

農耕車の人、跡継ぎはいますか。おれには関係ないですね。

テレビに映った一般人、話す機会は永劫ないと思う。

スーパーの車、何台あるんだ。何個の違う人生があるんだ。

レジの人、呼び捨てで名物扱いされてたの知ってますか。まあどうでもいいよね。

友達、絵描くの好きだったなんて知らなかったよ。ところで結局大学も入ってたっけ?

同期、モラトリアムを引き延ばしてるのかその道を極めたいのかどっちだ。まあ、引き延ばしてたはずがうまく行ってるなんて人よくいるし、いっか。

同期、落ち着ける生き方があるといいね。おれは向こうに行ってみるよ。

友達、無職仲間だ、仕方ないし笑ってこうぜ。

 

人はどうしたって一人だ。それは事実だ。だから自分の形を正しく認識する必要がある。

あなたの「死ななければならない理由」、基本的人権が認められてる国なんだから大丈夫だとおれは思うよ。死にたさより生きていてもいい理由を外注できるといいね。

 

他人の価値観や感情は見えないし分からないから自分の辛さや苦しみ、迷いにばかり焦点が当たる。「幸せそうにしやがって」とか、「悩みがなさそうでいいね」とか。

「幸せそうで悩みがなさそうな人」も辛い日ぐらいある。ただ隠すのが上手いとか、こちらの感受性が低いだけとか。辛さを吐露しようとすると息が詰まってしまうから、笑顔でいたほうが楽な人かもしれない。

 

視点を増やすには自分の存在を確認する必要がある。卑屈になりすぎて肥大化してやいないか?おれら案外小さいし別にいてもいなくても大して意味もない。

だったらなんか好きなことかましてやりたいなっておれは思うのです。

今日はラーメン食べたいな。おしまい。

20180816

「最後だと知っていたならば」。

何をするでしょう。何と言うでしょう。

 

最後だと知らなかったからこその今を、どう生きればいいんだろう。

 

悲しい空しいというよりも違和感がすごくて何か書き始めようと思ったのですが、まだ違和感が明瞭ではないようでキーボードが進みません。手が重い。いつもブログを書くときの手はよく動いて、頭で考えるより先に手が動くんだけど、今日はなんかダメみたいです。

 

この間、制限時間付きでタイムスリップできるって映画の広告を見た気がするけど、あの時も感じた。確実な違和感。前腕がゾワゾワした。

 

時間はいつも有限なのに、少しも変わらないような気がする日常に飽いている。連続、連続、連続で途切れることのない日々に嘆いてる。

そしてある日ある時何かに強く、二度と消化できない後悔を持つ。「最後だと知っていたならば」。ああ、何をしたんだろうね。

 

喜怒哀楽も苦しみも有限だ。それだけは忘れちゃいけない。

生まれたものはいずれ薄れていって消えてしまう。消えてしまうけれど、それに涙する義務はない。

 

後悔という気持ちをあまり重大に思っていない。迷路をなぞって遊ぶ時に「8番目の角で右じゃなくて左に曲がればもっと早くクリアできたのに!」とかあまり思ったことがない。一々スタートに戻ってやり直したらいい。もしくはどん詰まりからのスタートでいい。道は戻れ。どうしたってクリアのない迷路だったら、仕方ないし砂消しでも買ってコッソリ印刷を消して道を作ろう。

過去をなぞって後悔に浸ることは、迷路をなぞらずにただスタートからゴールを直線で何度も結ぶみたいだ。数え切れないほどの取捨選択の末に今があるんだ、そんなにぶっ飛ばそうとしないでいい。何より風情がない。あなたの人生はその後悔だけじゃなかったはずだ。

 

「最後だとわかっていたらこうしたのに」という本を読んだらおれはどう思うんだろう。タイトルが信条にまったく合わないので、手に取りもしなかった。ていうか本当にそういう内容の本なのかすらわかってない。著者の方、読みもしてないのにすみません。おれは若干流されやすいので、感化されるのが怖いのです。

 

後悔もおれの選択の一部で、それは長い迷路のほんのひと時の選択でしかない。まだゴールは遠いかもしれないし、すぐ近くかもしれない。紙が燃えちゃってもう振り返ることさえできないかもしれない。

足跡は確かにあれど、大切なのは現在地点だ。

その現在地点のために、「最後だとわかっていなかった日」の埋め合わせをするなら応援したい。でも、あんまり悲しいままでいると、悲しいのクセになっちゃいますよ。

 

あの夏とはもう決別してまあまあ経ってる。

死別を経験してから何か変わったことはあったかと聞かれて、記憶力は悪くなったと答えた。上記までのような「過去にこだわらない」という思考が生来のものなのか習得してきたものなのか、死別のショックで起きたものなのかは実はよく分からない。記憶なんて曖昧に薄れてく。おれはその事実を受け容れる。それだけでいいんだ。

おれは時間も多少経過している上に、家族の死を克服するにあたり都合のいい思考だったと思う。でもこれが全てじゃないんだよな。

 

色んなものに救われる人がいる中の、一つの意見です。色んなものを愛していこうな。

とりあえず友達にスタンプでも送ってみて、なんだよって言われて、なんでもないけど元気してる?って、ちょっと笑ってみよう。片方死んだらそんなくだんねーこともできないんだし。

 

だらだら長引きました。手は結局ノってきませんでした。悲しい。せっかく書いたので公開はします。

おわり。

20170723

物が多すぎる机を見つめて、なんでこんなに物があるんだろう?と冷静に不思議な気持ちになる。

手に取ればそれらにあった理由なんかも思い出せるが、物が多い理由はなんだろうか。

 

僕らの思い、軌跡、人生。時間とともに流れ消えていずれ忘れてく物たちをこの場所に留めようと釘を打つみたいに物が増えていく。

よく考えたら別に過去なんてどうでもいい。そう思いながらも「これはあの時あそこに行った時に買ったし」「いつか使うかもしれないし」と言ってただ物は積まれていく。ただ過去が積まれていく。

 

思い出というのは全くおかしなもので、一緒に体感した人とすら多少異なるものだ。それを別の友達に共有しようとなんてすれば、オチでもなければ無意味な話だ。

無意味な筈なのに、親しい友達の経験を聞けば「こいつのことを少し知れた」なんていう不思議な満足感もある。不和が溜まる。

 

 

思うより早く過ぎていく毎日に時々目眩がする。おれがこの不調和に唸りながらキーボードを叩いてる時にみんなは人生をしている。仕事をしているかもしれないし学校に行ってるかもしれない、寝ているかもしれない。命の危険に面しているかもしれない。

身長70センチぐらいのときからよく遊んでいた近所の子供は気付けば同じぐらいの背丈になっていた。日々が過ぎる。日常が回る。目が回る。なんだか悪夢が繰り返されているみたいだ。

 

祖母はボケてる上に持病や暑さで調子が悪そうだったらしい。母さんは不安げにそれを語り、僕はいよいよかぁなんてぼんやり思っている。今日の出会いと別れが最期かもなって、妹が死んでからは誰とも思っている。「それじゃ、またな!」と言う時は半ば祈るような心地だ。おれは生きて話してくれる人間が好きだよ。また会えたらすごく嬉しいよ。出会えたらすごく嬉しいよ。頼むぜ。

 

人と別れる時はこんなにも明確な諦めと願いがあるのに、思い出や経験なんかを物にしてしがみ付くのは何故なのか。

諸行無常の響きが空っぽな諦観に反響している。

もし持ってるものを全部捨てたら、己の人生が無意味だったように思えるのだろう。何も無かった、無駄だったって。物に縋る程度の思い出だからだ。

少し物を捨てよう。もう少し自分らしくしたほうがいい。過去に対し何物にも頼らず、今を誰かに頼ろう。なんとなく今はそのほうが健全だろうなと思う。知識を蓄えよう。やりたいことをやるために、武術の型みたいに、順番を考えなくても自然と語れるぐらいに身につけよう。

 

そういう積み重ねが自分の人生だって言えるようにしよう。今のところ、最低でも、バカみてえな傷跡分だけはおれが生きてた感じあるからさ。大丈夫だ。少し物を捨てよう。

20180710

なんとなくただ頭の中身を垂れ流したいのですがなんとなくただツイッターがそういう場じゃないような気がして怯えていまして、誰かと話したいような気もするんですけど反応が無い限りどうしようもないし大体平日の朝に返事くれる人とかそんないない気もするし、ああどうしよう、だらだら何か言ってみましょうか?

 

生活リズムが整うと生活がかなり整うのはとても分かった。とても心が凪ぐ。誰かのせいにして生活リズムを乱してるとしんどいもんな。

扇風機の風が優しい。この町は暑い。

高温で息ができなくなる東京の夏のほうが好きかもしれない。

この町じゃ溺れそうだ。いつから粘ついた湿度の町に溺れそうになっていたっけ。

 

二年前。

多分二年前。機会があり初めて国外に出ることになった夜。あれ、もう少し前だっけ?まあいいか。

溺れながら汗をかいていた覚えがある。おれは町に、この国に嫌われていてだからこそ外に出られないかもしれないと焦っていた。

故郷なんかに飲み込まれて死んでしまうのではないかと本当に焦っていた。あの時は大学のある町に住んでいたのに。

それほどまでに故郷の引力は強大である気がしている。おれは故郷が大嫌いで大好きなんだろう。こういった複雑さが愛なんだろうか。それとも愛憎のほうが正しい語だろうか。

大切らしい人たちには各々の大切があることを知っておれはその一部じゃないと気付いて去りたい。

 

一夏を関東圏で過ごしたことがある。体が焼け落ちそうでそれが自傷行為みたいな微かな爽快感を伴っていた。

歩を進めろ。足が擦り切れてなくなるまで歩こう。そういう思いを携えながら知らない町で半袖で、ただ歩いていた気がする。目的なんて無かったのだ。いつだって、いずれ死ぬ人生、そうだろ。

 

自殺することそのものはおれの希望じゃなくなった。知らない町の無関心な優しさは希望だ。道を訊いたら教えてくれるんだ。地元じゃ恥ずかしくてgoogle mapしか使えないのに。「他からの優しさ」と思ってるものは存外恥ずかしがらなければ受け取れるのかもしれない。謙虚であることと卑屈であることの兼ね合いを探さなければいけない。

新しい友達。お前らはとっくに大切な人たちがいると思う。だからこそ安心だ。

おれはいつだってその場所から発てる。

古い親戚や友達。おれはあなたたちから去りたい。よく分かってはいないんだけれどただそっとあなたたちから去って関心を持たれたくない。

 

新興じゃない宗教のミサに参加してみたことがある。

おれはこれまでにたくさんの過ちを犯していて、なんとなく神様がいても許してもらえないだろうな、と思っている。

信じたい思いはある。だけどあまりにおれの間違いが多すぎて、信じることができない。0から100まで許されると言われてもおれ自身が間違いである気がして、間違いを許すことと見逃すことは違うと屁理屈をたててしまう。

宗教に向いてない。少し勿体無いな、と思う。

 

落ち着いてきました。おしまい。

故郷への乱文

こちとらもう日付も変わりますし、寝たいんですけど、よろっと頭の情報量がしんどくなってきたので一度文字に起こしてみようと思います。

 

何故故郷に惹かれるのか。何故家族と共にいることが良しとされているのか。

この求心力はなんなのか。おれから見れば、これは殆ど呪いみたいだ。

帰る場所がある、待っている人がいると言えば聞こえは良し。ただそこを終の住み処にしたいのかと言われるとそうでもない?だったらどこで暮らしたい?

ここじゃないどこかで暮らしたい。ここじゃないどこかで生きたい。くそみてえな思い出も輝かしい思い出もそこらじゅうにリマインダーがある町は生きづらい。

ああそれならそこじゃないどこか。ダーツで刺さった先の町や国に行って、そうだな、10年暮らして。町がリマインダーまみれになって。また離れたくなってしまうのかな。

 

愛着の持ち方がイカれてる。なんとなくそんな気はする。

過去に怯えてる。なんだかそんな気もする。

 

帰らなければいけないところと帰るべきところは違う。それならおれはどこに帰ろうか。

帰らなければいけないところは故郷だ。家族のもとだ。

ここがおれの帰るべきところ、と思った場所や人には、それぞれ帰らなければいけない家族がいる。

帰らなければいけないところを受け入れられないと孤独が来る。絶妙な味わいの孤独が来る。それが大きくなると補食されるらしいから気を付けろ。大丈夫、おれたちは一人じゃない。孤独の味見をし合おう。美味しいのもあるかもしんないよ。

 

ここじゃないどこかに生きたい。

くぐもった価値観が高く鳴る瞬間を期待してる。

故郷には甘やかされるばかりで、心臓にラードでもつけられてるような不快感がある。鼓動が重たいんだ、そういう日ばかりなんだ。

徐々に開発が進む物悲しさもどうだっていいんだ。それすら鼓動を圧し殺す。

 

町に変わらないでほしい。変わるぐらいなら出ていきたい。そうして着いた町も誰かにとっては変わらないでほしかった町でおれのように誰かが去った町だ。

よそ者だから許される挙動も、少し悲しい。僕がこの町の生活に馴染むことはできても、所詮はよそ者なのだろうか。そして去るのだろうか。故郷にまで。

 

故郷は、おれの部屋は、泥沼みたいで苦手だ。安心してしまう、おれの荷物の数に気づいてしまうから。

重力井戸から這い出るのは難しい。

 

輪廻とまではいかないんですけど、僕からみて右君からみて左とかを思い出します。

永劫、うねって、右左、人生、いいから

さっさと好きなことやろうか。

 

ああ、日付変わっちゃいました?

おやすみなさい。