※個人の見解です

思考の整理や自分語り

愚痴

性自認で困ってるという話。愚痴。

 

俺は善人であろうとしてる。存在感など皆無でいい。だけど善人であろうとすればするだけしがらみも後悔も生まれる。「善人」というラベルが邪魔で関係を断ち切ることなどができない。

ありがたいことに同年代の人の多くはあなたはあなたという性別でいいと言ってくれたり、まあどうでもいいんじゃない?と悩みを一蹴してくれる。この界隈の人ももちろんそうだ。多様性を許してくれる。ありがとう。

 

突然だけど親戚は好きですか?僕は好きでした。たくさん構ってくれましたし優しいです。

田舎の親戚というやつは「あの家に男の子が生まれた」「女の子が生まれた」を気にする。いや、世代的にも仕方がないのだろうか。日本人的であるのだろうか。

 

親は成長の過程を知っている。俺のために買われた女の子用の服はどうしても嫌で兄のおさがりばかりを着ていたこと、男の子とばかり遊ぶこと、制服が嫌で学校に馴染めなかったこと、すぐに体操着になっていたこと、チビの癖にメンズの服しか着ない、等。いい加減ここまですれば「女の子なんだから」と言い出さない親でよかった。

親戚は成長の過程をほとんど知らない。親戚内での二番目の孫として、「長女」として年に数回会い続けて来た仲だ。初めて生まれた「長女」としての前提があった上で良い子だ。合計10人足らずのいとこの中で2人しか生まれなかった「女の子」だ。もう1人だったはずの妹は死んだ。たった1人の「女の子」としての期待だ。女としての親近感を覚えた上での仲だ。死にたい。殺したい。

今日とてもいやになった。もう出来るだけ話したくない。好きだったと過去形にしたのは今日のため。できるのなら存在しないものとして扱いたいぐらいだ。

おばさんは若年性認知症と言われても驚かないぐらい物事を繰り返し言う。一度発言したことを覚えていない。だから何度も何度も何度も女の子とか女としてとかふざけたことを良心として言われて初めて嫌悪感が敵意として顔に出そうになった。出てたかは分からない。

 

喋るのが苦手だ。真実を話せば解決するかとも考えたが、何度も大きな声で繰り返されても困る。何より容姿や声が変わらない限りあの人は認識しない気がする。理解してもらえる気がしてれば俺だってこんな内向的に悩まない。

ただでさえ理解され辛い性自認と性指向であるのにどうやって理解してもらえばいいんだ。面倒臭い。こんな人と血が繋がってるのか。だるいな。死にたい。

逃げるしかない。

わけが分からないぐらい好かれてるのにこれを放置して逃げるのか?だるいなあ。本当にだるいなあ。居なくなったらどうなるかって一番できる子の兄貴がしんどくなるだけだろ。居なくなった出来る子たちの幻想にいとこ達は振り回される。そんなんはいやだ、良い子とか善人ってこういうところで覚悟がいるのか、キツい。何がどうなっても構わないつもりだったが全然そんなことはなかったらしい。

全部笑ってたら終わるよ、大丈夫。

とりあえず余裕はまるでないのだけど本気で性別移行考える。もうやだ。だるい。しんどい。

不満の話

後輩に遅れた反抗期が来たらしい。大学の後輩だからたぶん20歳ぐらいだろうが反抗期は大切だ。

その際には味方となれる人間や尊敬される先輩もたぶん必要だ。

反抗期だからってトゲトゲして誰とも話さないわけではない。ヤンキーと呼ばれていた友人たちは友人”たち”だった。やつらには仲間が居た。

そういうわけで、否定しない人間は必要であると思い、出来る限り否定しないで相槌ばかりを打ってきたよ。果たして正しい行動なのかは分からないね。

いや、意外としんどいな、これ。

自分が通ってきて何か理由をこじつけて納得していた道に、現在の負の感情を添付して伝えられるんだ。自分には今だから分かることも色々あるけど、それを彼に伝えても否定にしか繋がらないから言わない。面倒だし建設性もない。否定されると分かってる仮説を主張するのは体力がいる。

 

逆もまた然りか。主張を否定されるのは面倒だよな。と思いながら帰ったけどどうなんだ?否定された上で主張することが好きな人もいそうだよな。肯定されることだけが最良じゃないよなあ。

お互い体力は使うことになるがそうして主張を確たるものにすることはできる。その不満は確たるものにしていいのか?

思春期なら別にディスカスしてなんぼって感じはするけど反抗期をはいはいそうだねって撫でてるのはふさわしい行動だったのか不安になってきた。

 

過ぎたことをどうこう迷ってもしょうがないからあいつのことはまあいいや。

世間的な間違った道に進んだらごめんな。その調子で目上を責めて自分の正義を思って健康を損ねなければ学部柄どうにかなるぞ。免罪符使ってけ。

 

あまりないとは思うが、今後こういうことがあった場合どう接すれば正解だったかを知りたい。

「自分が悪いとは分かってる”けど”○○さんは××だった。」

この発想難しい。割と聞くけど、単純な人間だから「悪いなら解決では?」と少し思ってしまう。そう言われたいわけじゃないだろうとも感じるから、言わないけど。

俺には過ぎたことを悔やみ続けるほど体力がないだけか。あとから別の人間に何言ってもかわんねえし。

 

全部受け止めるのは楽だ。多少喉が濁っても消化されたら身体になる。

………お?これは素直に思春期も反抗期もできてなかった証拠か?

気持ち悪いものを消化してたら不随意な身体ができたと?お?すごいな?こんな共通点が出てくるとは思わなかったな?

濁らせないことと、そもそも濁りを濁りと思わないことが大切ということか。

ってことはあれだ、納得しなかったことを納得しなかったと言う時間はやはり大切なのでは?

人に吐露することは濾過のような行程かもしれない。差し出された泥水を飲むことはできないから人というフィルターを通してから飲もうとしているのかもしれない。頑張ってるんだな、後輩よ。

そんならどうすることがフィルターの役割か。そのまま垂れ流してしまうより大きな粒子を取り除いて少しでも透明に近づけることだろうな。

 

失敗したな。精進します。無責任ではあるけど、強く生きてくれ。

身体の話

今日何してきたかはまあいいや。面白くない。

 帰ってから当然のように無力感と疲労感が遊びに来た。やつらが苦手で緊張すると身体が強張ってくる。

どうせなら外に居続けてしまえばその感覚と縁を切れるって言うなら是非とも完全にパブリックな人間になりたい。でもそううまくはいかない。

うまくいかないならこの緊張をどう発散するかだけど、クッションを抱きしめるとか布団を殴るとか、明確じゃない反応(骨のなさかな?)が苦手なので例えば未払いの請求書を眺める。ろうそくに火をつける。電子タバコを吸うなどする。いずれも頭は鉛のようですぐには戻ってこれない。

痺れるような筋肉のひきつりはどこにもやれなくて蒸発するまで待つしかない。

 

ツイートを引っ張ってきたが、こういうやり場のない感覚を生き物に触れて発散できたらどんなにいいだろうか。発想が利己的で嫌だけど弱ってるときにどうこう言っても何もできねえから、発想ぐらい垂れ流すよ。

 

 

 

 

 

 

 

人間てすげえよ。温かくて柔らかい。冷え性の人で冷たくても柔らかいんだ。

 

初めて死体を触ったのは父親の身体だった。朝6時に病床で静かに死んだ身体は、朝10時に病院に着いたとき段々温度を失っていた。顔も手ももうほとんど冷たいけど、首の後ろとか、まだ温かいんだよと母が教えてくれて触れた。本当に温かかった。

父の手はまだ曲げることができたが文字通り力なくて、これが人間だったのかと腑に落ちなかった。

温度が残っていても死んだ人はどこか硬くてシリコンみたいだなと思った。

ボロ泣きして騒がないように気をつけてできるだけ静かに泣いた。認知症の父方の祖母が到着したとき泣きながら父の身体を触りまくってた。遺体を綺麗にするから少し待合室に行けと言う医師の言葉を聞かないから、仲のいいほうである俺が祖母に声をかけたら「親が死んだと言うのになんて薄情な子だ。感情もないのか」という旨のことを言われた。

妹は「治すために転院したんじゃないの、毎日お見舞い行けないのに我慢したんだよ、なんで死んじゃったの」と俺ができなかったボロ泣きの大騒ぎをしていた。

 

こんなに正しく悲しめる子なら大丈夫なんじゃないか、きっと生きていけると、軽視した自分を恨むと同時に、やっぱりおれもつらかったし悲しかったし何が間違ってたんだろうと思う。

納骨室での兄と妹の姿は助け合って生きるそれではなかったのか。

 

 

 

 

生きてると温度があるし動きがある。声とか、その人の体臭もある。人格もある。

身体は柔らかくて中に骨や筋肉が詰まってる。圧倒的な知らない経験が重なってる。

その複雑さを優しさと勘違いしたままでいいから、つらい時にそう言って誰か優しい人を抱きしめてみたい。許してほしい。

明らかに家族以外の人を作るべきだよね。俺は薄情すぎて誰とも需要と供給が合わない気がするよ。

一人と分かってるのにこういうとき都合よく寂しがり風情を出すなあ。嫌だなあ。

 

未だに父の死を悼めることにもボロ泣きしながらタイピングして気付いた。そのうち書く。

セルフカウンセリング。セルフ曝露療法。危険ですので医師の管理の下やりましょう。

中毒の話

今日はamazarashiのCDを買うために街まで出た。

途中住所変更手続きをして、必要なものを買いに出た。

そしたら店が休みだった。仕方ないなとコンビニに入ったがまたなかった。

今日はもうついてない。ことごとくダメだ。ああまた腕が裂けそう。って普通に考えていたけれどこれうつヌケで認知の歪みとして紹介されてたやつにそっくりだなーって「みんなやってる」の呪縛にそっくりだなって落ち着く。

全然身体は不調になってるけど気分にはそこまで影響しなかった。オッケー元気だ。

 

元気でも相変わらず血を流す。これはなんなんだろう。

一度身体を切りつけてしまえば落ち着くかもしれない。そういう信仰は脳裏を掠めるけれどアル中は何年断酒しても一度飲んでしまえば元の木阿弥と吾妻ひでおが言ってたからそっちを信じたい。

中毒なのだから一度だけとやったってその快感に溺れてしまうだろう。僕は弱いんだ。

自傷行為をやめていた人が一度切ってしまっても否定しない。今までがんばったしまあセーフじゃない?とかうそぶくと思う。

自分のこととなると扱いが変わるのは不思議だ。

 

おなかが鳴ってる人がいると「おなかがかわいそう」と言う。

眠いと言ってる人がいると「寝てあげろよ」と言う。

自分のこととなると空腹を放置して峠を越すのが面白くて、眠くたって峠を越す感覚を求めたくもなる。

人に優しく自分に厳しくを履き違えちゃいないか?それは(恐らく)精神論であって体罰の話じゃないぞ。体罰を与えれば厳しいことにはならないぞ。

おなかが鳴ったら食べて、眠くなったり明日が早起きの予定だったりするなら寝て。それで健康に生きたらいいじゃない。

自傷行為を過剰に嫌がってるから囚われるんじゃないか。

もっと意思を受け容れて、イメージの流血を抑えてあげたい。いい加減貧血なっちゃうよ。

 

弱さを認めて、意思を受け容れて。

人のことも自分のことでも否定せずにいこう。それがなんだか最強な人間だと思った。

最強最弱で存在が希薄。あぁ、なんかいいね。死ぬほど中二病

 

結局CDは買えたし、ラーメンも食べた。過疎キャスに遊びに行ってみたら落ち着いてて素敵だった。いいところを拾っていけばいい日にできるいい日だった。

明日は早いので寝る。おやすみなさい。

発信の話

バイトだと思ったら全然時間に余裕があった。何故か腹壊してるけどブログを書こう。

 

高校生の頃好きなサイトがあった。今も好きだ。

グラフィックデザインのサイトだから画像欄がすごく良かった。一度好きなものを見つけると傾倒しがちな僕なので、ガラケーの待ち受け画面はそのサイトの画像しか使ってなかったぐらいだ。

 

デザインだけではなく、当時はかなりの回数を更新されていたブログがすごく好みでよく読んでいた。

たぶん当時は学生か、働き出してすぐぐらいだったんじゃないかと勝手に思ってた。そういえば正確な年齢は知らないや。学校なんかももちろん知らないや。

デザインとブログだけが好きでその人を知ろうとはしてなかった。それでよかったと思うし当時と変わらず活発な動きを尊敬してる。すごい人だと思ってたら段々本当にすごい人になっていってるのが面白い。

話がズレた。

いつかの日記(救いの話 - ※個人の見解です)で書いたが、死に掛けてた高校生の頃に詩集に救われたことがある。その単純さと透明さに本当に救われた。

好きなサイトの主は感情や状況をすごく感覚的に示していた。時々クソ真面目な風にただ食事の内容を載せてるのに、結局人生論になってたりして面白かった。

詩的ではなかったけどすごく読みやすくて、頻繁に思いを表現してくれていて好きだった。

直接的な感情じゃなく思考のパターンを淡々と書いている感じだ。

 

今その人は同じようにグラフィックデザインサイトを経営してた人が設立した会社で働いたり変わらずイベントに呼ばれたりしてるらしい。

サイトを見に行ったら日記の最終更新は去年の大晦日だった。

精力的に活動されてるのはすごく嬉しい。しかしもっとブログを読みたいなと思う。

表現し切れなかったモヤモヤを文章化するのはすごい。すごく労力がいるから最近は少ないんだろう。

 

誰かさんのブログを読んでいたら、「20代前半の頃ほど発信したいことがない」と言っていた。

もしかして、あのブログの主も言葉にして発信したいことは減ったのだろうか。たくさん仕事もあるっぽいしな。怖いな。今考えながらキーボードを叩く速度をセルフで競ってるような俺の思考ももうすぐ干上がってしまうのだろうか。

干上がることこそ楽しく生きる術だとは思う。知者は早死にしてしまうイメージがある。頭が持つ思考の海を自在に泳ぐために、身体のエネルギーが足りなくなっていくからだ。歩けるようになったらストレスは減るしエネルギー消費量は浮く。

 

どっちに流れるだろうか。23歳。もう分岐点だろう。

生きる理由が見つからなかったら死のうって決めてたなら、せめて水を満たしていきたい。どうなるだろう。

20170219

昨日一昨日は親に引きずり回されて、無理を隠す技術がセミプロ級のおれはしっかりくっついて走り続けて親が家に帰ってからの昨晩に全ダメージが来た。

まず身体が物理でへろへろ。PC前の椅子に座ってる状態からお茶を入れようと立ち上がって崩れ落ちる身体。面白。疲れすぎ。ははは。

 

 

 

 

何が悪いのかいいのか分からなくなってきてとりあえず酒を飲んでみたらガンガン回ってしまって何故か凶悪殺人犯の発言集みたいなものを見ながらキャスを流す。

殺人犯と自分の常識の違いに耐えられず身体がパクっと裂けるイメージが断続的に流れる。

流した血を両手の平にのせたときのような冷たい無力感。

重力が血だったのではないかというぐらい開いた手の平が重い。

血が温かくて生きてる心地なんてしたことはない。表皮を伝ってる最中の記憶はほとんどない。

あったのは小さな血だまりと、冷たい血餅。固まった血がぱりぱり割れる感触と傷口の熱だけ。

過去の感覚が全部そのとき帰ってきてしまって、だけど実際に傷があるわけでも血が流れてるわけでもない。見事な禁断症状。出来たら切りたくはない。

何をすればいいかわからなくてキーボードに伸ばした手の丸まり方が妹の死後硬直とそっくりで手を見ることが怖くなった。

それならばベッドの隅に置いてある手ぬぐいをドアノブにかければいいのかと意識だけが自殺ルート。まだ手の平を見つめてパソコンの前で震える身体は置いていかれたまま、意識は2,3度手ぬぐいを手にとるまでする。早死にしそうなおれに友達がくれた健康10か条が書いてあるくだらない手ぬぐい。震えたりしてる割にずっと笑い続けてる。あぁ、死にたくない。生きたくない。死にたい。

置いてかれたままの身体でコメントを打つ。現状とネット上の意識が食い違ってて気持ち悪い。落ち着けよ、面白いな。

飲みすぎたら倒れるように寝ないかなとアルコールを追加したけどイメージの血が止まらない。

途中で眠剤を飲む。きかねえ。眠れない。オーバーヒートも止まらない。この日は鼻炎で息が下手だったこともあり焦燥感満載の呼吸になる。怖い。

毎日一つずつ飲んだ錠剤のシートが昨日で一枚空いたから、何か取り返しのつかないことをしたような焦りを覚えて暗くして横になっても首を吊らなきゃいけない気がしてでも家族で2人も首吊りだったらもう呪われてる感ヤバいよね!それはだめだね!だめだね!ダメだよ、ちょっと、

眠剤をもう1つ飲んだ。起きてから調べたら最大量3mgで僕は4mg誤飲していた。

 

疲れたら何が何でもすぐ寝ること、眠剤は寝るそのときに飲むことをこれから気をつけたい。

悪夢で誰かを連れて逃げ続けていた。攻撃されて攻撃して逃げた。あ、死ぬって思ったあたりで起きた。起きたときものすごく疲れていた。今もバイトがあるみたいだから起きてるけどしんどい。

疲れた、疲れた。充足した眠りをください誰か。お願いします。

敵意の話

許せないって言葉は割とどこでも目にする。

心地いい言葉ではないけど、許さないって心の底から発する人のことが少しだけ羨ましい。

許すとか許さないとか、許されないとかは自分の正義が貫かれて初めて生まれる悪意のようなものだと思うから、のらくら生きてるおれには黒すぎて眩しい。

ネット上ではっきりとしたその人の存在感を感じさせるのは大体黒だ。優しさには鈍感で、敵意には敏感でいる。白は風景と混ざる。

誰かに敵意を向けてるわけではないのに傷つけていく人のグレーの輪郭線はナイフでできているから気をつける。こちらが間違えなければお互い傷つかない。

 

黒色に触れると過剰反応する。風景とあまりに違って、自身の潔白も相手の黒に染められたように錯覚する。

だから人同士の摩擦は起きる。勘違いから生まれているんだ。

 

友達に向けられた悪意を自分が聞いてしまって怒るのは果たして最良の行動か。

いや、おれだって友達の悪口を聞けば腹が立つぐらいはする。友達は大切だ。ただ悲しいかな、自分のことは大切じゃないから自分のことのように大切とは言えない。

悪意を垣間見ると、胃の中に黒いものが入って気持ち悪い。息も苦しくなる。でも大体ただの「特徴」と思ってた部分が悪口に変わってるだけだから、あまり構わない。言いたいやつに増徴しない程度に喋ってもらってガス抜きさせるのが役割かなと思ってる。

おれが怒ってもどうしようもない。ある時、大学の友人Aから大学の友人Bに対する悪口を言われたが、AはBのことを友達とも思っていない。だから悪口を言うのもおかしな行動でもなかったし、気分が悪くなってそういう陰口はやめようと制してもAは不満げにぶつぶつ言っていた。

これじゃ僕がAの友人たる「利点」はない。利用してもらえなくなる。

Bの行動に耐えて黒色を溜め込んでしまったAは、ただ黒を少し空気に放ちたかっただけなんだろうと感じた。

 

悪意や敵意がおれに向けられたものかそうでないかの判断は難しい。へらへら笑って走り回っていれば多少の擦過傷は気にならないから。

友達に向けられた悪意や敵意、人とのコミュニケーションに滴る黒色は結構恐ろしい。

恐ろしいけどまあ、友人Aは僕のことを信じて生臭い黒色を教えてくれたなら、Bが良いやつでもAのことを受け止めたいとも思うよ。どんなにグロテスクで見たくなくても。

 

感じた事実は曲がらない。ストレスは溜まり続けるばかりなら、少しでも楽になるようにどちらの友人にも話してもらいたい。どんな悪意を聞いてしまってもどちらも友人だから気にしない。

黒も白もどうでもいい、灰色で空気みたいな曖昧な正義感で、人としての形を落としていきたい。

善人すぎて忘れられるほどになりたい。