※個人の見解です

思考の整理や自分語り

IFの話

もしああだったら、

もしこうしてれば、

 

騙されるな、それは存在しない。ダイバージェンスメーターはシュタインズゲートを持つ者に委ねるしかできない。彼らの正義しか押しとおらない。

騙されるな、敵は周囲にいるわけじゃない。常に今をベストの形にしていかなかった過去の自分自身こそ宿敵だ。そうだろう。

 

過去を断ち切るためにさっさと辞めた。もしもの世界なんてあり得ない。とうに失くしたものだ。

「もしこっちだったら」と言うがそっちだとどうなる?いいかもしれない?なら悪いかもしれないじゃないか。確実性はどこにもないんだ。評価基準はなんだったんだい?

過ぎた現実が全て平穏無事かつ至極穏当な現実になる。選択肢に迷う事は正しいのか。

認めてくれ。忘れることだっていい。思い返される故人の好みは知らないよ。

いくら悔やんでもダイバージェンスメーターは変わらない。過去には行けないから。

 

好きな人だけを守るんだ。みんな、各々、それぞれ。それが自分だという人もいれば家族だという人もいるし、恋人だって人もいるかもしれない。色々いるだろう。おれには意識できない領域だってあるだろう。

物語が進んで行くにあたって無限の選択肢を取ったのは自身の意思と無意識だ。右に行こうと思った。そのとき頭が痒くて掻いた、それだけの右手がどこかに繋がるかもしれない。何かが始まるかもしれないし、日々を終わらせてしまうかもしれない。

 

調子を取り戻したのか相変わらず明るくて強かった母さんが涙を流した。どうでもいいことで泣いたとはぐらかされて、言及できないおれは窓の外を眺めるばかりだった。

おれにとっては居なかったことになってる。ただ明確な傷だけを残して。

骨が折れて、くっつかないままぽっかり空いてるのに、表皮だけが治っているみたいだと思った。押したら空気にぶつかる。折れた骨が痛い。そんな感じだ。

泣けるというのは傷を癒している段階なのかもしれない。感情の傷は感情でしか治せないのだろうか。

もしもああだったら、と声を漏らすことは現状を受け容れるためのものかもしれない。過去の自分をも肯定しようと必死なのだろう。

 

辛かったことも楽しかったこともほとんどが無かったことになっていると母にこぼしたらそんな訳はあるかと笑われた。

記憶がほとんどないのは頭のスペックのせいか、ストレスのせいかなんなのか。

階段から声をかけてきた姿と、死体と、カラオケでの笑顔と。それぐらいしかない。

父に至ってはいつもの笑顔と冷たい死体と離婚だという一度きりの罵声だけ。

もしおれが違う行動を取っていたなら、おれはもう少し安定した精神でいたかもしれない。もしおれが違う行動を取っていたなら、生きていたかもしれない。

考えて変われるなら考えろ。変わることなどないのなら空想だと理解しろ。

世界線はきっとどこかに集束する。無数の命を踏み越えて。

他の世界線には移れない。他の世界線ではあいつも生きているのかもしれないが、そこはおれの居場所じゃないんだ。

 

壮大すぎて頭が過熱する。分岐路が四次元方向まであるみたい。

今を許して。他の世界線の幸福でも祈って。変わらないものを変えることは難しい。ぼかあ許されたいので、どうにか今を許そう。

 

離人みたいな感覚が剥がれない。考え事をするとずっと何かが集束してる。おやすみなさい。