憧れの話
若さの渦中にいる。多分。
もしかしたら23歳なんて例えば中学生や高校生から見たら「オッサン」「オバサン」の領域だったかもしれないからちょっと分からない。
でもたぶんそう考えることすら若いほうの考えなのかもしれない。
実年齢とればそのうちそう呼ばれるもんね。
もっと中性的な中堅世代の呼び方できないかなあ。オササンとか。オッバンとか。ただの中年か。
年を重ねることは怖い。
将来の自分の容姿なんて想像もできないし、高校生などの美意識からすれば、その肌に必ず皺が刻まれていくって運命は喜劇的でなく悲劇的なものではないだろうか。
もっともっと年をとった姿と言えば頭は回らず車に乗れば事故って背も縮んでいくボケ老人だ。
憧れの姿ではないし、悲しいかな、僕は年功序列の尊敬もし切れない。
どこか遠い昔は中堅世代は勇ましく狩りに行ったり慎ましくみんなのための作業をしていて、長生きすれば長老とか、シャーマンとかの位と権威のあるもので、憧れの姿だったんじゃないだろうか。
現代には憧れが足りない。
出会えなかっただけとか自分の意識の違いか。
分からないけど憧れが欠落してるように感じる。
テレビに出るのは芸人かアイドル。あとはせかせか好きなこと喋るインテリと汚職報道される政治家。
単純接触効果で面白い人や綺麗な人の株は上がり続ける。インテリには頭いい人ってこういう話方するよねってテレビ越しの嘲笑。
顔が良くない芸人はある種イジメの的であるように思っていた。こいつといればこの子がもっと綺麗に見えるみたいな。俺が差別的なんだろうか。
差別の話は一度置いてもだ。
どう年を重ねればカッコいいかとか、この人はどういう努力をしてきたとか、憧れることを許されるロールモデルがあまりに少ないんじゃないか?
テレビの人たちは生活の成功者で、その姿を見ているだけだ。
成功した姿しか見えない。
日常生活もそうだ。
実は現実や生活にいるのに気付かなかっただけか。
目立つ人のほうが面白いもんな。はは。
もしも一人の俳優が端役から始まって今に大物になるぞという番組があってもきっと記憶に残らないだろう。
いいことは言わない。悪いことばかり誇大広告する。
叩く事に必死だ。
大きな仕事をしていても給料は人並みまで下げたほうが大衆の溜飲は下がる。
現状に憧れが足りない。
俺は汚職できるほど頭の回転が良くないし私欲もない。
キレのあるセンスで爆発的に売れることも滅多に無いだろう。
せめて幸福そのものである形が欲しい。例が欲しい。
そうだ、幸福な姿が無いんだろう。
それとも想像できないだけか。知覚していないだけか。
生きていていいって安心して思いたい。
形はどうあれ、なんとかなるよって言ってくれてる人たちを信じてる。