※個人の見解です

思考の整理や自分語り

曖昧な話

スピード感が上がってる。久しぶりにお酒を飲むとすべての物事はおれについて来れないような万能感に浸ってしまう。その実、言葉が飛ぶから考えてるようで考えてない時間が長くなるだけ。アホらしい。

 

最近、「妹がいた」という事実がとても曖昧になっていて自分で驚く。

新しく知り合う人にきょうだいはいるの?と聞かれたら兄がいますとしか答えないし、「あーその漫画妹が好きだったな」って事柄は昔は口に出していたのに今は全く言わない。言えない。『へぇ、妹いたんだ』『はい、もう死にましたけど』。それだけの会話にストレスを感じてしまうとわかっているから言えない。

さっき何の気なしに携帯のアドレス帳を見ていたら妹のやつを登録したままになってた。瞬間、誰のやつだか分からなかった。物心ついてからでも10年以上、密な付き合いがあったはずの人間の名前と顔が一致しなくなっていた。

人間はこんなに淡泊なものなのかと感心する一方でおれはこんなにも冷血なのかと一人勝手に傷つく。妹のためじゃない、おれはおれの非情さに勝手に傷ついている。マッチポンプってこういうことを言うのだろうな。人は喪失を許容できる生き物ったって忘却してしまうのではなんとも味気ない。

 

記事ツイートしてもらったのを見て久しぶりにコメント確認しました。つっても2年前の記事なのでそんなにたくさんの新規コメントがあったわけじゃないんですけどね。

死んだあいつを羨んでくれるのは別にかまいません。首吊りでも死ねるんだってこともまったく否定できません。死んだからね。

だけど存外、特別仲が良かったわけでもない家族の死でも人は傷つきます。衝撃がそのまま残ること、多いみたいですね。

対して、ああこんなにも愛していたのにって言いながらデータ消去を重ねすぎて過去がスカスカになって「何を愛していたんだっけ?」となる人もいます。

個人的な意見で言えば、自殺を仄めかされても止めることなどできません。僕らはバブルの残り香のする頭でっかちな奴らに安定した将来を考えろと言われ続けた人間で、デッドエンドの物語よりも希望に溢れた物語が希望に溢れたまま終わる映画なんかを見てきました。正直、老人になって死すという大多数が辿るはずの未来を想定できていません。そんな感じがするんです。

 

死を決めてる人たち、あるいは死しか道が無いという人たち、あなた方は人の気持ちを優先してしまう優しい方々なので、最期の反抗の手前で所持金の限り失踪でもしてください。体力の限りでもいいです。そこで「明日死ぬんだし」って気持ちでそこら辺歩いてる人とか居酒屋でぼんやりしてる人にベラベラ馬鹿みたいに自分語りをして、「そうかぁ ふーん」って言われてください。

誰も苦しめないようにって自分ばかりが我慢をして苦しんではいませんか。他人のためにそんな我慢せんたっていいんだって気付いて、そっからしっかりと死ぬ気持ちになってください。

 

みんなのためって堪えてたら自分のためにすらなってないことありませんか。あれは避けたい。とても避けたい。

自分だけが得して高笑いする盗賊みたいになってもいいんだよ。ダメなことだったら正義の味方がきっと殺してくれるんだからね。かわいい程度だったらアンパンチでぶっ飛ばされてもまた何事もなかったみたいに戻ってこれるから、ね。

もっと悪者になっていいんだ。利己的でいていいんだ。怖がらないでいい、死者のデータ消去しすぎてスカスカなおれが先陣だ。バカヤロウ。

 

丁度いい文字数で。そんではまた。